前回、「平野文書」が平野による創作であると推定する根拠を一つ取り上げた。しかし根拠はこれだけではない。「平野文書」によると、「天皇陛下は憲法についてどう考えておられるのですか」という平野の問いに対して、幣原は次のように答えたことになっている。
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僕は天皇陛下は実に偉い人だと今もしみじみと思っている。マッカーサーの草案を持って天皇の御意見を伺いに行った時、実は陛下に反対されたらどうしようかと内心不安でならなかった。僕は元帥と会うときは何時も二人切りだったが、陛下のときには吉田君にも立ち会って貰った。しかし心配は無用だった。陛下は言下に、徹底した改革案を作れ、その結果天皇がどうなってもかまわぬ、と言われた。
==========<引用終わり>============
幣原が「マッカーサーの草案」(GHQ草案)を持って天皇に拝謁した日というと、『昭和天皇実録』から見て、46年2月22日以外にはあり得ない。幣原がマッカーサーと会見し、マッカーサーから天皇制を維持するためにはGHQ草案を受け入れるしかないと説得された翌日で、この日午前の閣議でその時の様子を報告した後、午後2時すぎから天皇に拝謁して「1時間以上にわたり」奏上を行っている。ここで幣原はGHQ草案を提出し、前日のマッカーサーとの会談内容を報告し、受諾が不可避の情勢となっていることを説明したはずである。天皇が言下に「徹底した改革案を作れ」などと言うはずがない。「徹底した改革案」はすでにGHQによって作られており、問題は日本政府がそれを受け入れるか否か、受け入れない場合は天皇制存続の保障がない、という状況なのである。ここにも平野の嘘が露呈している。なお、吉田はこの日の午後、松本とともにGHQに赴き、ホイットニーと面会しているので、吉田と一緒に拝謁したというのも誤りである。
「平野文書」第2部によれば、幣原は自由党、進歩党、社会党、共産党など憲法改正案に「全部目を通してみた」が、「満足できるものは一つもなかった」ので、「一体、戦争と平和とは何か、ということを色々考えてみた」結果、軍備全廃の考えに至った、ということを述べている。しかし、幣原が「天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案すること」を考えついたという、45年暮れから46年正月にかけて「風邪をひいて寝込んだ」時期(遅くとも公務に復帰する1月16日以前)に憲法改正案を出していた政党はなく、自由党が「憲法改正要綱」を発表するのは46年1月21日、進歩党の「憲法改正案要綱」は2月14日、社会党の「憲法改正要綱」に至っては2月23日にようやく発表されている。共産党は「新憲法構想の骨子」こそ45年11月11日と早い時期に発表していたが、完全な草案の形で公表するのは46年6月28日のことである。もちろん、幣原が回想して平野に語った時期は51年2月下旬とされているから、幣原が前後関係を間違えて語った可能性が絶無ではないが、これは軍備全廃という画期的な提案を思いつくきっかけになる出来事であるから、きっかけと結果の前後関係を間違えるというのはおかしな話である。
幣原はまた、自分の提案を聞いたマッカーサーが、最後には「非常に理解して感激した面持ちで」握手を求めたが、最初は、「アメリカの戦略に対する将来の考慮」と「共産主義者に対する影響」の2点をめぐって躊躇した、と語ったと平野文書は言う。「日本が非武装となることは、アメリカの期待を裏切ることであり、アメリカを失望させることである」から、その点でマッカーサーはかなり躊躇した、とも幣原は語ったことになっている。しかし、アメリカの対日占領政策が日本の再軍備と経済復興に転換するのは東アジアにおける冷戦構造が明確化してくる1948年ごろからであって、初期の対日政策が非軍事化と民主化にあったことは間違いないところであり、1946年初頭の時点で、当時の現実そのものである日本の非武装がアメリカの期待を裏切るとか、マッカーサーを躊躇させるということはあり得ない。さらに、幣原は「日米親善は必ずしも軍事一体化ではない」とも語ったことになっているが、無条件降伏して占領軍の従属化にあった当時の日本の首相である幣原からこうした言葉が出てくるとは考え難い。
幣原はまた、「世界平和は正しい世界政府への道以外には考えられない」とし、「国際連盟は空中分解したが、やがて新しい何らかの国際的機関が生れるであろう。その機関が一種の世界同盟とでも言うべきものに発展し…」と、国連のさらなる発展に期待する発言をしたことになっている。しかし、先にも述べたように、幣原は『外交五十年』の中で、国際連盟はもちろん国際連合にも全く期待しておらず、非常に悲観的な見方を示している。その幣原が「新しい国際的機関」に期待するとは思われない。さらに、平野文書によれば、「若し或る国が日本を侵略しようとする。そのことが世界の秩序を破壊する恐れがあるとすれば、それに依って脅威を受ける第三国は黙ってはいない。その第三国との特定の保護条約の有無にかかわらず、その第三国は当然日本の安全のために必要な努力をするだろう」と幣原が語ったことになっているが、これは、「遠方の、痛くも痒くもない他人のために血を流したり、財産を投げ出したりすることは、これは特殊の事情がない限り、人情として行われることではない」(『外交五十年』)という幣原自身の言葉と矛盾するように思われる。
2023年8月27日 稲田恭明