「平野文書」は真実か?(第1回)

いつもお世話になっております。

毎月お送り頂いております『完全護憲の会ニュース』はもちろん、その送信文にも、いつも無知な私の知らないニュースが満載で、大変勉強になり、楽しみにしております。

しかし、5月12日にお送り頂いた『ニュース13号』の送信文には驚きました。

そこには次のように書かれていました。

=========<引用開始>==============

平和憲法誕生の経緯を読み直してみてはいかがでしょう。

「押しつけ憲法論」は長年主流の仮説ですが、以下の「非押しつけ論」には、辻褄の合う証言や文献や状況証拠が豊富にあり、他説に比べて格段に信頼性が高いと思われます。

==========<引用終わり>=============

この文章に続けて、1946年1月下旬、当時の幣原喜重郎首相がマッカーサー最高司令官を訪問し、新憲法に戦争放棄を書き込むようマッカーサー元帥から提案してほしいと依頼し、密約が成立した、という話が紹介されていました。

これは「平野文書」の内容の要約ですね。

そしてそのあと、平野文書と笠原十九司氏の論考「憲法九条発案者をめぐる論争に「終止符」を」へのリンクが貼られていました。

私は思わず、「マジかっ」とつぶやきました。

私は以前、たまたま憲法制定過程を詳しく勉強したことがあったので、2016年に「平野文書」を一読して、これは嘘だと気づきました。

ところが今回、なんと、本物の歴史学者である笠原十九司氏が太鼓判を押しているではありませんか。これは一体どうしたことか!

リンク先の笠原氏の論考と、氏が今年出版された『憲法九条論争――幣原喜重郎発案の証明』(平凡社新書)を読んでみました。正直、唖然としました。あまりにも恣意的かつ強引な史料の引用と解釈がなされていたからです。

もし自分の知り合いが「南京大虐殺は幻だってよ」と言ったとしたら、それは違うと反論しなければならないと思います。同様に、平野説を解く人がいたら、それは信用してはいけないよと言わなければならないと思っています。

笠原氏は人民網の取材に対し、「嘘の歴史がまかり通るようになってはいけない。社会が事実をごまかした場合は、間違った道を歩むことになる。それは戦前の教訓だ」と述べていますが、私も全く同感です。そこで、「嘘の歴史」である「平野文書」がまかり通るようになってはいけないとの思いから、今回、数回に分けてブログに投稿させて頂くことになりました。その中で、笠原氏を批判することになるとは、私自身意外でもあり、残念でもありますが、仕方ありません。「嘘の歴史」である「平野文書」を「決定的史料」と持ち上げ、「嘘の歴史」を広めようとしているのですから。

本連載の目的は、第1に、「平野文書」の史料的価値を否定すること、第2に、「「平野文書」に依拠して「憲法9条幣原発案の証明」とした」と主張する笠原氏の『憲法九条論争』の誤りを指摘することです。

本論に入る前に、上で引用したニュース13号の送信文では、「押しつけ憲法論」と「非押しつけ論」とが対比されていますが、マッカーサー発案説と幣原発案説がこれに対応するわけではない、という点をまず指摘しておきたいと思います。現に、日本国憲法制定史研究の第一人者である古関彰一氏はマッカーサー発案説に立っていますが、「押しつけ憲法論」は支持していません。理由はいろいろあるのですが、一言でいうと、日本国民の多くはむしろ日本国憲法を全体として歓迎したわけですし、何よりも日本が独立を回復し、いつでも自由に憲法改正ができるようになってから70年以上もの間、一度も改正されなかったという事実が、「押しつけ憲法論」に対する明白な反証になっています。それに比べれば、当時の日本政府が「押しつけ」られたか否かというのは、とるに足りない問題です。GHQに強圧的な態度があったことは事実ですが、日本政府に拒否する自由がなかったわけではありません。ただ、日本政府が拒否した場合、マッカーサーが直接日本国民に草案を示すと言われ、それをされたら自分たちの政治家生命が終わると思って打算で受け入れたのです。それを「押しつけ」とみるかどうかは、国民の立場からすればどうでもいい問題です。

もう一点、本論に入る前の基礎知識として、「平野文書」についても説明しておきましょう。

「平野文書」とは、1949年から51年にかけて衆議院議長を務めた幣原氏の秘書のようなこと(正式な秘書官ではありません)をしていた衆議院議員の平野三郎氏が、幣原氏が亡くなる10日ほど前の1951年2月下旬、同氏から聞き取った話を文書にして、1964年ごろ憲法調査会に提出し、同調査会事務局が同年2月に「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について―平野三郎記」と題して印刷したものです。

この文書は当時は新聞でも取り上げられたりして、かなり話題になったようですが、その後、忘れられたようになっていたと思います。それが再び脚光を浴びたのは、2016年3月に鉄筆文庫より『日本国憲法 9条に込められた魂』の中の一編(というか中核文書)として出版されたことです。(もっともその前月にテレビ朝日の報道ステーションが「スクープ」として報じたそうなのですが、この報道は私は見ていません。)私もその本が出てすぐに読み、一読して嘘だと思ったことは先に述べました。

それでは、いよいよ次回から、「平野文書」の信憑性についてみていくことにしましょう(続く)(次回から文体は「である」調にします。)

2023年8月25日 稲田恭明

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2023年8月26日 | カテゴリー : ①憲法 | 投稿者 : 管理人