(弁護士 後藤富士子)
参議院選挙で改憲派が3分の2を大幅に上回る議席を確保したことで、改憲発議に向けた動きが具体化されそうな情勢にある。ここで「改憲」というのは、自衛隊を憲法に明記する、安倍9条改憲論のことを取り上げることにし、この改憲を阻止しようという意思は「平和主義」つまり「平和の実現」を指向するということになる。
そこで、「自衛隊が憲法に明記されると何が変わるか?」と問えば、憲法9条がある第2章のタイトルが、現在の「戦争の放棄」から「安全保障」に変わることを、まずもって指摘したい。それは、「安全の道を通って〈平和〉に至る道は存在しない」からである。
これは、ドイツの神学者ディートリヒ・ボンヘッファー牧師が1934年に「教会と世界の諸民族」という講演で、「いかにして平和は成るのか」について述べた言葉である。続けて「平和は敢えてなされねばならないことであり、それは一つの偉大な冒険である。それは決して安全保障の道ではない。」「安全を求めるということは、自分自身を守りたいということである。平和とは、全く神の戒めにすべてをゆだねて、安全を求めないということであり、自分を中心とした考え方によって諸民族の運命を左右しようとは思わないことである。武器をもってする戦いには、勝利はない。神と共なる戦いのみが、勝利を収める。それが十字架への道に導くところでもなお、勝利はそこにある。」という。「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイによる福音書5章9節)のである。
私は、憲法9条の条文を守りたいのではない。平和を実現したいのだ。だからこそ、平和への道標である第2章と9条を変えたくない。それに、「安全保障」というのは、際限のない軍拡にすぎないし、誰が考えても、「安全保障」自体も叶わない。平和を実現するには、「戦争の放棄」が原点なのではないですか?
(2022年8月23日)