「真珠の首飾り」公演

面焼け野原の東京で、憲法草案づくりが始まった。
彼らはそこに、何をこめたのか ~ 劇団青年座公演

20150823   20150824

 

 

 

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「真珠の首飾り」公演」への2件のフィードバック

  1. 亀有の公演を観てきました。
    1946年2月4日、ダグラス マッカーサーの指示の下、GHQ民生局長をトップとする日本国憲法草案作成チームが極秘裏に発足します。集められたメンバーは軍人+民間人28人。弁護士、法学者、元民主党議員のほか日本の大学で教えたことのある教授等日本通も。最年少メンバーベアテ・シロタさんは17才まで日本で育っており、当時22才で女性、子供の人権を担当しており、89才になった彼女が物語の進行役をするという演出です。

    具体的な作業は、24人が立法権、行政権、人権、司法権、地方行政、財政、天皇に関する各委員会及び前文に分かれて執筆し、運営委員会4人がそれを取り纏め、1週間で草案を仕上げます。
    マッカーサーの指示は3つ、①天皇制の存続 ②戦争放棄 ③封建制の排除。
    何故1週間かというと極東軍事委員会が天皇の戦争責任を云々する会議が始まる前に天皇制を存続させる憲法草案を作ってしまう。
    何故戦争放棄かというと極東軍事委員会に天皇免責を受け入れさせるため。

    明治憲法から抜け切れない日本政府側はこの草案の修正を試みますが、結局はGHQ側の説得に応じざるを得ず、若干の修正を持って発表されます。これに対する各党の反応は、社会党が女性の人権をもっと強化、外国人の人権条項を加えたいという希望、共産党から天皇条項の削除。保守系2党は賛成。更に国民は大賛成という結果。草案作成チームはこの結果を喜んで解散。

     「占領軍アメリカが作った憲法だから自前の憲法を作るべき」という声がありますが、GHQ草案作成にかかわった人たちは、国連憲章の精神に則り、天皇制を残すためイギリス憲法をベースに、アメリカ、ソ連、ドイツワイマール憲法等々からよいところを取り入れ、当時の最先端をいく理想的な憲法を作ろういう熱い思いが伝わってくる舞台でした。

  2. さる9月24日、大田区民プラザで青年劇場公演の「真珠の首飾り」を観劇した。1946年2月、皇居前の第一生命ビルの1室でGHQ民政局のメンバーが極秘裡に日本国憲法草案を準備した、その作戦の暗号名が「真珠の首飾り」だ。日本人が一人も出て来ない不思議な芝居だが、そこは作者がジェームス三木だけあって、よく調べて、勘所をつかんでいる。
    日本国憲法を作ったのは人類の英知だとも言われているが、そのとおり民政局のグループ、なかでも子供時代を日本で過ごしたベアテ・シロタの誠意が良く伝わる。
    それにしても日本国憲法制定の事情という硬派のお芝居に、区民プラザの席をほぼ埋める人を集めたのは、やはり安保法制反対、憲法擁護の声が広がる時代の雰囲気の反映だろうか。観客のなかに普段芝居見物をするとは見えない地味な人々の多かったのは、大田区に左派の伝統が根付いている、その現われだろうか。
    この硬派の芝居に取り組んだ作者と役者さんたちに拍手を送りたい。

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