緊急警告066号  岸田政権は放送行政の歪みを正し、表現の自由を回復せよ

2023年3月2日、立憲民主党の小西洋之参議院議員が、放送法が定める放送局の政治的公平性を巡る総務省の内部文書を公表した。この文書は総務省の勇気ある官僚が「放送法を国民の手に取り戻して下さい」との必死の思いで、総務省出身の小西議員に託したもの。文書によれば、第二次安倍政権下の2014〜15年にかけて、当時の磯崎陽輔首相補佐官が総務省に強引な働きかけを行い、「一つの番組でも政治的な公平性が問われる」という解釈を求めていたことが赤裸々に記されており、結果的に当時の高市早苗総務大臣が、総務委員会で文書の筋書き通りに答弁を行っていたのだ。総務省が抵抗していたことも伺われるが、最終的には安倍首相が高市大臣に国会答弁を指示していたことも記されている。

磯崎氏は文書の中で、「この件は俺と総理が二人で決める話」などと語り、安倍政権下の官邸独裁、首相独裁の一端が垣間見える文書である。

松本剛明総務大臣はこの文書を行政文書であることを認めたが、一部についてはその正確性が確認できていないという苦しい言い訳を行なっている。その理由は、78枚の文書中4枚に高市氏に関するレク(説明)記録と電話記録が含まれ、高市氏が「文書は捏造(ねつぞう)」と公言し、捏造でなかったら「大臣も議員も辞める」と答弁しているからだ。森友問題の安倍氏の答弁「私や妻が関係していたら総理大臣も議員も辞める」を思い出す。安倍氏の言葉が、その後の文書改竄(かいざん)に繋がったことを忘れたかのような政府の対応には憤りしかない。行政文書であることを認めながら、「正確性が確認できない」としたら、総務省の行政文書は全て信用できないことになり、総務行政の崩壊を自ら招くことになる。間違っても高市氏を守るために文書の真実性を歪めてはならない。岸田首相はこの問題に対して、一貫して「総務省が対応する問題」と、他人事のような答弁を繰り返している。行政の総責任者としての自覚がまるで見受けられない。

毎年「国境なき記者団」が発表している「報道の自由度ランキング」の最新2022年ランキングによれば、日本は恥ずかしいかな71位という危機的状況にある。民主党政権だった2010年~2012は11位~22位だったが、第二次安倍政権以降50位以下となり、順位を下げ続け、先進国では最低レベルにある。記者クラブという閉鎖的制度がいまだにあり、権力側からの情報をたれ流すだけという報道姿勢も一つの要因ではあるが、最も大きな要因は、権力による有形無形の恫喝(どうかつ)と、それによる自己抑制である。この文書で明らかになった、首相とその取り巻きが勝手に法解釈を変更し、テレビ局にとっては生命線である電波停止などの恫喝を受ければ、どのテレビ局も委縮し、政権批判を抑制する作用が働くのは当然である。

1950年にできた放送法は、戦前・戦中の反省から、政府が検閲、監督を一切行わないこととしてきたが、テレビの影響力が大きくなるに従い、次第に政府の干渉が多くなり、行政指導が度々行われることになる。その中で「政治的公平性」については、「放送事業者の番組全体を見て判断する」という解釈をとってきたが、2015年5月の高市総務大臣答弁で「一つの番組でも極端な場合は政治的公平が侵されたと判断する」という解釈に変更され、それが現在も政府の統一見解として生きている。これも問題ではあるが、最も大きな問題は、番組全体にせよ、個々の番組にせよ、誰が政治的公平を「判断」するかということである。放送法の原点は憲法21条の「表現の自由の保障」であり、それをうけて放送法1条の「放送による表現の自由の確保」と、3条の「何人からも干渉され、規律されない」があるのである。したがって「判断」は放送事業者自身が自主的に行うべきもののはずである。しかし、これらを全て無視あるいは曲解した安倍政権以降は、政府が個々の番組内容にまで介入し、実質的な検閲が行われているのだ。時の政権が政治的公平を「判断」できるとしたら、安倍政権のような独裁色の強い政府の下では、政権批判報道は封殺されるか、自主規制せざるを得ない状況になり、国民の知る権利も失われ、言論の自由も圧殺されてしまうのだ。

岸田政権はこの放送法問題に正面から向き合い、現在の歪んだ放送法の解釈を正し、権力の監視機能を持つ報道機関の表現の自由を回復せよ!

(2023年3月12日)

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