「パンデミックを生きる指針–歴史研究のアプローチ」( 藤原辰史著) のご紹介

当初の楽観的な観測とは異なって、日に日に深刻さを増していくかのような新型コロナ感染症。自分とはかけ離れた所で起こっていると思っていた伝染病が、次第に身近に迫ってきて社会が緊張していくことを実感している人も多いと思う。

そんな折、私は貴重な論文を読む機会を得た。多くの人に読んでもらいたいと思い、本ブログに掲載し紹介する。
私が参加している「東アジア近現代史研究会」の関係者から送られてきた論文「パンデミックを生きる指針――歴史研究のアプローチ」(藤原辰史著)である。この論文は岩波新書HP 「 B 面の岩波新書」に掲載されたもので、関係者が著者の許可を得てPDF版を作成・配布したものとのこと。
200407 パンデミックを生きる指針、藤原辰史、岩波書店

近年、サーズやマーズ、鳥インフルなどの感染症が話題にはなったが、世界的な大流行までには至らず沈静化したこともあって、私も含めて大部分の人々はこうした感染症について大したことはなかった、それほど恐れるほどのものではない、という印象なのではないか。

だが、こうした楽観論が生まれるのも、私たちが感染症についての歴史的な知識を欠いているせいなのではないかと思う。逆に、こうした歴史的認識の欠如は、身近に迫った危機においてパニックを起こし、他者を差別・攻撃することにもなりかねない。

前述の論文は、わずか100年前の第一次世界大戦期に世界中で猛威をふるい4800万~1億人もの命を奪い、日本でも40万人の死者が出たと言われるスペイン風邪の教訓が正しく伝えられていないことを危惧し、人類の感染症とのたたかいの歴史から学ばなければならないことを強く訴えている。

新型コロナウィルス感染症の恐怖が身近に迫ってきた今こそ、この論文が鳴らす警鐘に耳を傾け、学ぶべきと思う。

草野好文(完全護憲の会会員)

※PDFは下記をクリックするとダウンロードできます。
200407 パンデミックを生きる指針、藤原辰史、岩波書店

新型コロナの緊急事態時、国民の生活を守れ

新型コロナウィリスの感染拡大が続く中、国民の生活が脅かされ始めている。

密集・密閉・密接の三密を避けるための不要不急の外出自粛により、飲食業・観光業は壊滅的な状況となり、学校も休校が続いています。関連産業では雇用喪失や廃業・倒産も増加しつつあります。

この結果、憲法第三章が保障する「国民の権利及び義務」が脅かされる状況が現出しています。

憲法25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めているが、これは決して生活保護のみを言っているわけではない。今回のような事態においては、非常に広範囲に明日の生活にも窮する国民が発生しているなか、早急に金銭給付等で住居・生活費を支給しなければならない。10万円、30万円なんて言う議論をやっている場面ではないはずです。

憲法26条は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて等しく教育を受ける権利を有する」と定めているが、突然に何の法的かつ科学的根拠もなく、休校宣言し、非常事態宣言後は各自治体判断に任すなど、無責任に教育の権利を奪うような行為をしてはならない。

憲法27条は、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」と定めるが、勤労者の責に帰さない理由で自粛要請して勤労の場を奪うのであれば、その損失を担保する金銭給付がなければ、勤労の権利は有名無実ではないか。

政府は欧米に負けない規模の予算を組んだと言っているが、必要なのは今困窮している人を救うことです。それがコロナの早期収束にもつながるし、経済的負担の最小化にもつながるはずです。

2020.04.24 柳澤

新型コロナを憲法への「緊急事態条項」付加に繋げてはならない

新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)に基づく緊急事態宣言が7都府県に発せられ、地域拡大の動きもあります。日本においては、PCR検査の絶対数が圧倒的に少なく、発表されている感染者数・死亡者数が信頼できる数値であるかは大きな疑問があり、感染拡大のピークの目途は全く立っていません。
こうした不透明状況下、自民党内では今回のコロナショックをチャンスと見て、「緊急事態条項」付加の改憲論議が高まりつつあり、野党にも呼び掛けている。
自民党憲法草案における「緊急事態条項」の基本は、時の政権が緊急事態と認定した事象に対して政令一本で私権を制限できるようにするというもので、国権の最高機関たる国会は無視されます。ナチスを生んだドイツのような独裁を許しかねない、極めて危険な代物であり、決して憲法に付加すべきものではありません。
昨日(4/14)たまたま衆議院の厚生労働委員会を見ていると、日本維新の会の藤田文武議員が質問に立ち、「新型コロナの緊急事態のため一般質疑はしません。緊急事態では新型コロナ問題以外の法案審議は先送るべし」などと発言し、35分の持ち時間のところ3分で終了しました。緊急事態時は余計な国会審議はするな、政府に協力しろ、と暗に主張しているかのようでした。今回の感染症拡大といった事態が発生した際に、こうした政府への同調圧力が国民に蔓延し、「緊急事態条項やむなし」といった世論が高まってしまうことが最も危険なことであり、絶対に阻止しなければなりません。緊急事態時だからこそ国会が正常に機能し、メディアも政権を監視する機能を維持してこそ、民主主義国と言えるはずです。

「選択的夫婦同姓」でしょ?――「強制」から「選択」へ「原則」の転換

(弁護士 後藤富士子)

1 「夫婦同姓」の何が問題か?
 戦前の民法は、家父長的「家」制度を採用していたから、妻は、婚姻によって「夫の家に入る」とされていた。そして、家父長的「家」制度を実務的に支えたのは「戸主」という単位で編纂された戸籍制度である。 続きを読む

2020年3月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 後藤富士子

勉強会のご案内 「日本国憲法が求める司法改革」

「戦後日本の司法制度が手にした最大のものは、違憲法令審査権である」(『官僚司法を変える――法曹一元裁判官』後藤富士子著 現代人文社)と言われる。

だが、「憲法の番人」である裁判所はこの役割を果たし得ていない。果たしていないどころか、多くは憲法判断を回避するか憲法違反の悪法を合憲として追認している。司法が社会の悪化を加速させているとも言える。

この司法の現状を改革することなくして、社会の悪化は止められない。

日本国憲法が求める「司法改革」とは何か。長年、「司法改革」の必要性を訴えてきた後藤弁護士に講演していただき、学びたいと思います。多くの皆様の参加をお待ちします。

講 師  後藤 富士子 氏(弁護士・みどり共同法律事務所)
会 場  三田いきいきプラザ 集会室A(東京都港区芝4-1-17)
・都営地下鉄 三田線・浅草線 「三田駅」A9番出口より徒歩1分
・JR 山手線・京浜東北線 「田町駅」西口より徒歩8分

 

 

 

 

 

 

 

資料代  300円(例会資料含む)

第1回
4月26日(日)15:00~16:30(例会は13:30~14:50)
「司法制度――戦前と戦後」

第2回
5月24日(日)15:00~16:30  (例会は13:30~14:50)
「憲法と裁判所法が描く司法・裁判官」

※新型コロナウィルス感染問題が沈静化せず、深刻化した場合には日程の変更もあり得ますので、ご注意ください。
(日程の変更は下記完全護憲の会HPを参照するか、または下記事務局までお問い合わせください。)

https://kanzengoken.com
事務局電話番号:03-3772-5095

2020年3月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 管理人

徴用工問題を考える

草野好文(完全護憲の会会員)

常軌を逸した日本政府の対応
元徴用工問題に対する韓国大法院(最高裁)の日本企業に対する「慰謝料」支払命令判決(2018年10月30日)以降、日本政府(安倍政権)の韓国文在寅政権に対する対応は常軌を逸しているとしか思えない。
居丈高に「国際法違反」、「国と国との約束を守らない韓国・文政権」、との非難を浴びせ、はなからけんか腰なのである。
続きを読む

2019年10月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : henshu

「権力分立」の生理──日本では見られない韓米の現実

(弁護士 後藤富士子)

1 「徴用工」裁判は私人間の民事訴訟
 「徴用工」裁判について、専ら1965年に締結された日韓請求権協定の問題として論じられている。しかし、私は、まず「時効」の問題が頭に浮かんだ。原告は第二次大戦中に強制労働をさせられた韓国人、被告は新日鉄住金、三菱重工など日本の私企業であり、第二次大戦中の不法行為責任を問う民事訴訟である。仮に日本の裁判所であれば、「時効」「除斥期間」の問題で、原告の請求を棄却するのではなかろうか。この点は、韓国の本件準拠法がどうなっているのか。この種の被害者の名誉と尊厳の回復のために、請求権の「消滅時効」について特別の立法措置がとられているのかもしれない。
 私人間の問題ではないが、国に対する関係では、盧武鉉政権下の2005年に「過去事整理基本法」が国会を通過し、「真実・和解のための過去事整理委員会」が設立され、足掛け5年の間に8000件に及ぶ事件の真相が明らかにされた。国による恣意的な人権蹂躙、暴力・虐殺などの事案を究明し、国がその過ちを認めて被害者たちの名誉を回復し、金銭賠償をするだけでなく、和解のために、「心からの謝罪」と「過去の事実を整理して被害者の名誉を回復すること」を目指した。「過去事整理基本法」は時限立法で申請期間が定められていたが、「過去の疑問死真相糾明法」や「光州補償法」など類似の法律では、法改正によって申告期間を延長している。
 ちなみに、「過去事整理委員会」の真相究明決定によって、多くの事件で再審が開始され、誤った過去の裁判が正されている。盧武鉉大統領が直接乗り出して取り組んだ「済州島4・3事件」(1948年4月3日、南北に分断された朝鮮半島の南部だけで総選挙を実施するという国連案に、分断が固定化するとして反対する南朝鮮労働党の済州島組織が武装蜂起したことがきっかけとなり、多くの住民が無差別に殺害され、軍事裁判により内乱罪などで関係者が有罪判決を受けた)の元受刑者18人が求めていた再審で、今年1月17日、済州地裁は、事実上の無罪となる公訴棄却の判決をしている。
 なお、2014年に起きたセウオル号事件でも、遺族が長期のハンガーストで求めたのは、「真相究明のための法」であった。日本では、「真相究明のための法」という発想すらなさそうである。真相究明は訴訟でなければできないと考えられがちであるが、私人間の民事裁判で真相が明らかになるとは期待できない。現在問題になっている「強制不妊手術」の被害救済に関する国会論議をみると、国民全体が加害者として謝罪し、僅かな見舞金を定める法律で対応しようとしている。これでは、真相究明も和解もできないが、かといって司法に救済を求めても、期待する結果が得られる保証はない。

2 大法院前院長の逮捕
 今年1月24日、ソウル中央地検は、元徴用工らの訴訟を遅らせた職権濫用などの疑いで大法院前院長・梁承泰を逮捕した。元徴用工が日本企業を相手取った賠償請求訴訟をめぐり、大法院が当時の朴槿恵政権の意向をくみ判決を先送りしたとされる裁判への介入や、憲法裁判所の内部情報不法収集など40あまりの嫌疑がもたれている。余談だが、「職権乱用罪」といえば、共産党の緒方副委員長宅電話盗聴事件で「密かに行えば職権乱用罪に該当しない」という通説・判例に驚愕したけれど、韓国ではどうなっているのであろうか。
 検察は、大統領府による司法への介入は、「憲法秩序を脅かす重大な犯罪」と指摘し、メディアも「大統領府との『裁判取引』は、三権分立と司法権の独立という国家の基本的な枠組みと憲法秩序まで危険にさらす」とし、逮捕について世論の多数も支持している(1月25日赤旗)。安倍首相は、文大統領に対して、大法院判決を無効化するように迫っているが、「陳腐」というほかない。それは、ハンナ・アーレントが『イェルサレムのアイヒマン』で指摘したように、「悪の凡庸」を思わせる。
 翻って、韓国でこういう議論が国民多数の常識となっているのは、主権者である国民が「民主憲法争取」の経験をもち、また、弁護士として「民主憲法争取」を国民と共に闘った盧武鉉や文在寅が大統領になっているからではないか。ちなみに、韓国の最低賃金引き上げや労働時間の上限の大幅な引き下げ(「夕方のある暮らし」)など「働き方改革」では、「実現不可能」に見える政策でも、とにかく実行して、それで矛盾が出てきたら、それを解決していく、というやり方をしている(1月28日朝日新聞「課題露呈 国・企業の対策始動」)。

3 トランプ大統領の「政府封鎖」
 メキシコ国境の壁の建設は、トランプ大統領の目玉公約であった。しかし、昨年11月の中間選挙では下院で野党民主党に大敗し、「ねじれ議会」になった。大統領は、壁の建設費を政府機関の閉鎖と絡め、閉鎖を「人質」に民主党に妥協を迫る戦略を取った。
 一方、民主党のナンシー・ペロシ下院議長は、一般教書演説を「人質」に政府再開を迫った。一般教書演説は下院本会議場で開く上下両院合同本会議で行われるが、下院議長が大統領に招待状を送り、同演説のため大統領を招くことを承認する決議案を両院が通して実現する。決議案採決は形式的で、通常は両院とも発声投票で可決される。ペロシ下院議長は、自らの権限である「招待」の時期を遅らせることで対抗したのである。
 世論の多数は政府閉鎖は大統領に責任があるとし、トランプ支持率も40%を切る過去最低レベルとなった。さらに、閉鎖の影響で航空管制職員らが欠勤したため到着便の受け入れを一時停止する空港がでるなど混乱が追い打ちをかけた。そこで、1月25日、大統領は、35日間続いた政府閉鎖を一時解除する決断をした。
 争点は、メキシコ国境の壁の建設予算であり、大統領の前に下院の「壁」が立ちはだかっている。一方、大統領が国家非常事態宣言を利用すれば、自ら歳出法案の成立を認めて政府を再開し、議会の決議がなくても壁建設を独自に進めることができる。しかし、大統領の国家非常事態宣言の権限は憲法で定められたものではなく、その権限濫用を防止するため議会は1976年国家緊急事態法を制定し、宣言時には大統領に何が「非常事態」かを明示するよう求めている。壁の建設で非常事態を証明できるか疑問視され、民主党は大統領を裁判に訴える構えでいる。
 この応酬をみると、「権力分立」の、なんとダイナミックなことか! その基盤にあるのは、政治を法律に変換する能力を有する膨大な法律家の存在であろう。

4 のさばる「行政」、かすむ「立法」「司法」
 韓国でも米国でも、政治が法律に変換されていく。それを日本に当てはめれば、まず、国権の最高機関であり唯一の立法機関である国会でその変換作業が行われ、行政が法律の執行という権限を逸脱すれば、司法の場で法律の適用によってチェックされる。すなわち、法律家は、「司法界の住人」という以上に、立法によって「政治を法律に変換する人」でなければならないのである。
 そうすると、最高裁の統制する「司法修習」によって、法律家(lawyer=弁護士)ならぬ「法曹三者」が養成される現行制度を抜本的に改めることから始めるべきではないか。ちなみに、平成天皇の国会開会最後の「お言葉」で、「国会が、当面する内外の諸問題に対処するに当たり、国権の最高機関として、その使命を十分に果たし、国民の信託に応えることを切に希望します」と述べられている(1月29日各紙報道)。

〔2019・1・31〕

2019年1月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 後藤富士子

憲法9条の論理と倫理――法規範としての「絶対的平和主義」

                            (弁護士 後藤富士子)
1 「いずも」型護衛艦の「空母化」
 政府は12月11日、与党のワーキングチームに19~23年度の「防衛計画の大綱」と「中期防衛力整備計画」の骨子案を示し、了承された。防衛大綱の骨子案では「現有の艦艇からの(短距離離陸と垂直着陸ができる)STOVL機の運用を可能とするよう、必要な措置」を講じることを盛り込み、中期防にはその一環として、「いずも」型護衛艦の改修を明記した。「いずも」型護衛艦は甲板などを改修し、STOVL機である米国製のF35Bステルス戦闘機の運用を想定している。
 ここでは、憲法9条が「専守防衛」という法規範であることを前提とし、それに照らせば「攻撃型空母」の保有は認められないとの論理は維持する。一方、「攻撃型空母」の定義の一つが「対地攻撃機の搭載」であり、F35Bステルス戦闘機は対地攻撃を主任務にしている。それでも違憲ではないという論理は、同戦闘機を常時艦載しないことで、「攻撃型空母」に当たらない、というのである。
 ちなみに、公明党は、3回にわたり了承を見送ったものの、「攻撃型空母」との指摘をかわすため、「多用途運用護衛艦」とする主張を自民党に受け入れさせたほか、戦闘機の運用についても常時艦載するのではなく、「必要なときに運用する方向性が明確に示された」として了承したのである。ところが、確認書では、呼称は今と同じ「ヘリコプター搭載護衛艦」となった。
 しかし、イラクやアフガニスタンなどで先制攻撃を繰り返してきた米空母艦載機も、年2回の定期航海以外は「母基地」を拠点に運用されており、「常時継続的」な運用などあり得ないという。
 そうすると、憲法9条に反しないとする政府の論理は、第1に「専守防衛」という法規範の読み替えの問題であり、第2に文言のメルトダウンの問題である。この第2の問題については、メキシコの外交官で詩人でもあったオクタビオ・パスの箴言で十分と思われる。曰く「一つの社会が堕落するとき、最初に腐敗するのが言語である。それゆえ、社会の批判は文法と意味の回復とではじまる。」(杉原泰雄『憲法の「現在」』288頁2003年発行)。第1の問題については、9条2項「戦力」概念の変遷が重要であるが、本論では2015年の安保法制をめぐる論点であった「個別的自衛権」のみを加える。

2 「絶対的平和主義」の条文化
 憲法9条1項の戦争等の永久放棄について、「国際紛争を解決する手段としては」と書かれていることで、形式論理的には「国際紛争を解決する手段」でなければ戦争できると解釈する余地はある。また、第2項は、冒頭で「前項の目的を達するため」との文言を置いているので、同様に、戦力不保持も「国際紛争を解決する手段として」に限定されると解釈する余地はある。そして、現実に導かれるのは、「自衛のため」の戦争や戦力保持は憲法9条で禁止されていない、とする解釈論である。ここから更に「言い替え」がされて、「専守防衛」とか「個別的自衛権」とかが、合憲違憲の指標とされるに至っている。
 しかしながら、自衛権を行使しなければならない事態は、まさに「国際紛争」状態であり、その解決手段として「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」を定めたのが9条にほかならない。すなわち、9条は「絶対的平和主義」を定めた条文である。したがって、立法政策としてならともかく、9条の解釈として「専守防衛」とか「個別的自衛権」とかいうのは、「書かれた法文」とは全く別物と言わざるを得ない。
 仮に「9条」に人格があると想定すると、「9条」は、「専守防衛」「個別的自衛権」なんて、「私のことではありません」と言うに違いない。そして、「絶対的平和主義」を定めたものと理解されないのであれば、「私の居場所はありません。天より遣わされたのですから、天に還ります」と言うのではなかろうか? かように、9条の解釈は、解釈する者の倫理が問われているのである。
 ところで、前記した「いずも」型護衛艦の空母化の話に戻ると、希望の党・松沢成文代表は、「防衛のための空母と言えばいい」と述べている。「空母なんですよ、あれは。『攻撃型空母』ではないというのが政府の説明ですよね。特に離島の方は滑走路がないから、緊急事態が起きた時にきちんと防空態勢を図るというのは、日本のしっかりとした抑止力につながる。日本は領海が広いですからね。(政府は)必要だという認識だと思いますし、私たちはそれに賛同します。(空母という名称を使わない政府は)そんなに逃げることはないですよね。空母は空母だから。あくまでも自国防衛のための空母なんだと言えばいいんだと思いますけれどね。」と述べている(朝日新聞12月14日日刊)。
 このような意見は、憲法9条を無視した自己の政策論にすぎず、国会議員が負っている憲法尊重擁護義務に違反している(99条)。そして、深刻なのは、松沢議員に、その自覚がないことである。また、このような見解が、国会において国民代表として表明されないために、有権者が選挙権の行使を誤ることにつながり、議会制民主主義の健全な運用を妨げていると思われる。

3 「行政国家」現象による権力分立の変容
 安倍首相は、議会で自らを「立法府の長」と1度ならず口にしている。「存在は意識を決定する」との法則に従えば、安倍首相は、権力分立を否定し、自ら「独裁者」であると言い放っているのである。
 しかし、なぜ、そうなるのか?を考えると、たとえば「防衛計画の大綱」や「中期防衛力整備計画」の法形式が、国会の議決を要さない、閣議決定で足りるとされていることに顕れているように、国権の最高機関であり唯一の立法機関と定められている国会が空洞化、形骸化していることに思い至る。「防衛計画の大綱」や「中期防衛力整備計画」が、国会の議決を要さないほど軽い問題とは思えない。「戦力」に関する問題なのだから、憲法9条に直接かかわることを考えると尚更である。また、財政の見地からしても、国会の議決が不要とは思えない。憲法は、「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。」(83条)、「国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。」(85条)と定めている。それにもかかわらず、安倍首相は、日本の安全保障のために必要のない高価な米国製F35Bステルス戦闘機などを勝手に購入している。
 このような現実は、「行政国家」というべき現象であり、それが権力分立制を変容させていることがみてとれる。「行政国家」とは、本来決定された一般的抽象的法規範の執行の部分的担当者にすぎない行政府が、法規範の決定においても中心的かつ決定的な役割を営む国家を意味するといわれる。その特徴として、①法律の発案・審議において行政府が中心になっている、②委任立法(法律事項について立法の権限を行政府に委任して立法を行なわせたり、委任に基づいて行政府が制定した法規範)がエスカレートして立法権の放棄に等しいような立法権の全面的・包括的・白紙委任的な委任、③多数与党であることから、議会は事実上内閣の政治責任を追及できない、④立法府は、事実上、行政府提出の法律案・予算案に機械的な承認を与える「登録院」と化し、行政府が行政権と立法権を併呑し、国政の中枢となる、などがあげられる(杉原泰雄『立憲主義の創造のために/憲法』111頁、岩波書店1991年第3刷)。
 こうしてみると、単に強行採決という運用の問題よりも深刻な事態といえよう。安保法制も多数の法案が一括審議・採決されており、国民にはどんな法律が制定されたのか皆目わからない。入管法改正法案の強行採決も、典型的な白紙委任である。ここまで「行政国家」現象が進行してしまったら、国会を「国権の最高機関であり唯一の立法機関」として再生する改革にも取り組まなければならないのではなかろうか。
                           (2018.12.15) 

「民主化」と「護憲」── 韓国にみる「国民主権」

                          (弁護士 後藤富士子)

1 朴正煕大統領の長期独裁体制 ――「維新憲法」
 1969年、朴正煕大統領は、三選改憲で政権を長期化したが、さらに永久政権を企て、72年10月17日、既存のすべての民主主義制度を停止して超法規的非常措置「維新」を宣布した。各大学の構内に戦車が進駐し、維新の宣布と同時に無期限休校命令が出された。そして、同年12月、憲法上の国民の自由と権利を暫定的に停止させることができる大統領の「緊急措置」を定めた維新憲法が公布された。
 文在寅は、大学法学部1年生であった。既存の法典や法学書はゴミ同然になってしまったのだから、「これでも法学が学問だと言えるのか」「そもそも法学に学ぶ価値があったのだろうか」という疑問が法学部生たちを押し潰した。翌年春に授業が再開されたが、憲法の教授は、休校中に新たに維新憲法の本を書いて講義に使った。
 73年後半から、全国で維新反対闘争が起きた。改憲請願100万人署名、緊急措置1号、4号の発令、74年の全国民主青年学生総連盟事件(政府転覆を企てたとしてメンバー等180人がKCIAに逮捕され非常軍法会議にかけられた)、75年の人民革命党再建委員会事件(党を再建し、民青学連の国家転覆活動を指揮したとして23人が国家保安法違反で逮捕され、8人が死刑となった)などが立て続けに起こった。文が大学で維新反対デモの首謀者の1人として逮捕され、大学を除籍されたのも75年4月のことである。
 79年10月26日、朴正煕大統領が暗殺された。全斗煥や盧泰愚などが中心になって軍事クーデターを起こし、崔圭夏大統領を引きずりおろして間接選挙で全斗煥を大統領とする「第五共和国」政権を樹立した。80年になると、大学を拠点にして全国的に反独裁・民主化闘争が澎湃として巻き起こり、復学した文も熱心に活動した。5月17日に除外されていた済州道にまで非常戒厳令が拡大されると、文は、戒厳布告令違反で再び拘束された。留置所で司法試験合格を知らされ、同年8月に大学を卒業し、司法研修院を経て、82年8月、盧武鉉と合同法律事務所を構えた。

2 全斗煥大統領の「護憲措置」
 87年1月、釜山出身のソウル大学生朴鐘哲が取調中の拷問で死亡した事件が発生し、2月7日、全国各地で一斉に国民追悼集会が開催された。釜山の怒りは沸騰し、警察が会場を完全封鎖する中、急遽、別の場所(路上)で追悼集会を行ったが、警察が白骨団(私服警察官で構成された鎮圧部隊のあだ名。一般警官と区別するために白ヘルメットを着用)とともに押し寄せてきた。恐れ動揺する市民や学生を守るために、釜山民主市民協議会の役員らは市民・学生と警察の間に割って入り、道路に腰を落として座り込みを始めた。盧武鉉と文在寅も座り込み、警察の催涙弾を浴びながら、ごぼう抜きにされて鶏舎車(護送車)に放り込まれ、釜山市警の対共分室(スパイ事件の捜査を担当する部署がある別棟)へ連行された。盧武鉉に逮捕状が請求されたが却下されると、検察は何度も非公式に令状請求するなど、韓国の法治主義の現在地を露呈した。
 4月13日、全斗煥大統領は、国民の民主化要求を拒否して一切の改憲論議を停止させる「護憲措置」を発令したが、国民の民主化の熱気に油を注ぐ結果になった。民主化を求める時局宣言(政府が民意に背を向けたり、社会的混乱が起きたときなどに、知識人など社会的影響力のある人々が憂慮を伝えて解決を促すために発表する宣言文)が洪水のように発表された。5月には、全国のすべての民主化運動団体に野党が加わって「民主憲法争取国民運動本部」(略称「国本」)が結成され、盧武鉉弁護士は「釜山国本」の常任執行委員長になった。6月、全国で連日デモが展開され、ついに同月29日、全斗煥政権は、①大統領の直接選挙への改憲、②軍事独裁の平和的政権移譲、③金大中赦免復権と時局事犯の釈放などを骨子とする特別宣言を与党盧泰愚代表に発表させた。
 こうして韓国の市民社会は、「6月抗争」により軍事独裁政権を倒したのである。

3 盧武鉉大統領を弾劾から救った「民意」
 2002年、盧武鉉は大統領選を制し、翌年1月、文在寅は、「権威主義の打破」を掲げる参与政府(盧武鉉政権)の民情首席秘書官就任に応じた。権威主義の体制が打破されて政治的・市民的民主主義が完成するには、大統領が「憲法や法律にない、超越した権力」を放棄することだと意識された。具体的には、政権の目的のために権力機関を利用しないところから始めなければならなかった。この盧武鉉政権が目指したものこそ、権力分立を中核とする立憲主義であろう。
 ちなみに、今年10月から徴用工をめぐる韓国大法院判決が相次いだが、むしろ、朴槿恵前政権の意向をくんで判決を遅らせたとして、職権乱用などの容疑で前大法院判事2名について、逮捕状が請求されたと報じられている。2017年の「就任の辞」で「国を国らしくつくる大統領になる」と約束した文在寅大統領が、盧武鉉政権のやり残した宿題に取り組んだ成果が表れているように思われる。
 ところで、2004年3月、盧大統領の弾劾訴追案が国会で可決された。弾劾は、大統領、国務総理、法官(裁判官)など身分保障を受けている公務員の非行について、国会在職議員の過半数の発議で訴追され、3分の2以上の賛成で可決されると、憲法裁判所で審理され、裁判官9名のうち6名以上の賛成によって弾劾が決定される。
 大統領の委任を受け、文は、代理人団を立ち上げ、本格的な活動が始まった。法律的に緻密な弁論をすれば絶対に勝てると確信した。弾劾は多数党の数による横暴というほかなく、法的根拠がないことは明らかで、民意に逆らった多数党のクーデターとして、民主憲政の危機が認識された。法廷の弁護活動だけでなく、憲法学者をはじめとする法律の専門家に働きかけて弾劾反対意見を表明してもらうことができた。
 弾劾に反対する市民たちのろうそく集会も開かれた。弾劾裁判の政治的性格や憲法裁判所裁判官たちの保守的な傾向を考えると、世論で圧倒する必要があった。文は、インタビューに応えて、「憲法とは何なのか。はるか遠くの高みにあるものではないはずだ。国民がもつ、民主主義に対する最も普遍的で素朴な思い、それを象徴的に表したものが憲法だ。つまり憲法の解釈も、一般国民の民主主義や法に対する意識から出発しなければならない。それが憲法に反映されなければならない。そうであるなら、街頭に出たこの大勢の市民たちによる弾劾反対のろうそく集会が、すでに弾劾裁判の進むべき方向を示しているのではないだろうか」と述べている。
 弾劾裁判の途中の4月15日、第17代総選挙があり、政権与党「開かれたウリ党」が単独過半数(299議席中152議席)を得て第一党となった。これは、弾劾に対する、恐ろしいほどの民意の審判であり、弾劾裁判の判決への決定打と思われた。そして、5月14日、憲法裁判所は、弾劾棄却の判決を言い渡した。

4 与えられた日本国憲法
 戦前の日本において治安維持法が弾圧したものは、「反戦」と「主権在民」である。共産党は「戦争反対」と「主権在民」を主張して、絶対的天皇制権力により殺人的・壊滅的な弾圧をうけた。だが、これらの暴虐の根拠は、日本国憲法で除去された。すなわち、日本国憲法により「国民主権」と「絶対的平和主義」が実現したのである。
 しかし、問題は、韓国に比べればわかるように、国民が民意により勝ち取ったものではないことにある。共産党の野坂参三がGHQを「解放軍」と規定したというのも興味深い。また、9条については、GHQによる「刀狩り」にすぎず、それゆえにアメリカの安保政策に組み込まれて換骨奪胎の体を露呈している。さらに、4月28日は、本土では「主権回復の日」とされる一方、沖縄では「屈辱の日」とされ、日本国憲法は適用されなかったのである。
 ところで、今日「慰安婦」「徴用工」などの歴史問題が噴出している。それは、日本が過去の歴史問題と真摯に向き合ってこなかったことのツケであり、その問題の現れ方も、解決方策についても、韓国と日本の差は大きい。ちなみに、文大統領は「韓日関係には過去の歴史問題がある。いつでも火がつくし、完全に解決したとみることはできない。歴史問題のために、韓日を未来志向的に発展させる様々な協力関係に問題が起きてはいけない」と述べている。この現実政治の落差は、憲法を自ら闘い取った国民と、与えられた憲法に寄りかかって安穏と過ごしてきた国民の差ではないかと思われる。

 ※本文で韓国に関する記述は『運命 文在寅自伝』によっており、誤解があるかもしれません。
 
                      〔2018・12・5〕