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憲法9条の論理と倫理――法規範としての「絶対的平和主義」

                            (弁護士 後藤富士子)
1 「いずも」型護衛艦の「空母化」
 政府は12月11日、与党のワーキングチームに19~23年度の「防衛計画の大綱」と「中期防衛力整備計画」の骨子案を示し、了承された。防衛大綱の骨子案では「現有の艦艇からの(短距離離陸と垂直着陸ができる)STOVL機の運用を可能とするよう、必要な措置」を講じることを盛り込み、中期防にはその一環として、「いずも」型護衛艦の改修を明記した。「いずも」型護衛艦は甲板などを改修し、STOVL機である米国製のF35Bステルス戦闘機の運用を想定している。
 ここでは、憲法9条が「専守防衛」という法規範であることを前提とし、それに照らせば「攻撃型空母」の保有は認められないとの論理は維持する。一方、「攻撃型空母」の定義の一つが「対地攻撃機の搭載」であり、F35Bステルス戦闘機は対地攻撃を主任務にしている。それでも違憲ではないという論理は、同戦闘機を常時艦載しないことで、「攻撃型空母」に当たらない、というのである。
 ちなみに、公明党は、3回にわたり了承を見送ったものの、「攻撃型空母」との指摘をかわすため、「多用途運用護衛艦」とする主張を自民党に受け入れさせたほか、戦闘機の運用についても常時艦載するのではなく、「必要なときに運用する方向性が明確に示された」として了承したのである。ところが、確認書では、呼称は今と同じ「ヘリコプター搭載護衛艦」となった。
 しかし、イラクやアフガニスタンなどで先制攻撃を繰り返してきた米空母艦載機も、年2回の定期航海以外は「母基地」を拠点に運用されており、「常時継続的」な運用などあり得ないという。
 そうすると、憲法9条に反しないとする政府の論理は、第1に「専守防衛」という法規範の読み替えの問題であり、第2に文言のメルトダウンの問題である。この第2の問題については、メキシコの外交官で詩人でもあったオクタビオ・パスの箴言で十分と思われる。曰く「一つの社会が堕落するとき、最初に腐敗するのが言語である。それゆえ、社会の批判は文法と意味の回復とではじまる。」(杉原泰雄『憲法の「現在」』288頁2003年発行)。第1の問題については、9条2項「戦力」概念の変遷が重要であるが、本論では2015年の安保法制をめぐる論点であった「個別的自衛権」のみを加える。

2 「絶対的平和主義」の条文化
 憲法9条1項の戦争等の永久放棄について、「国際紛争を解決する手段としては」と書かれていることで、形式論理的には「国際紛争を解決する手段」でなければ戦争できると解釈する余地はある。また、第2項は、冒頭で「前項の目的を達するため」との文言を置いているので、同様に、戦力不保持も「国際紛争を解決する手段として」に限定されると解釈する余地はある。そして、現実に導かれるのは、「自衛のため」の戦争や戦力保持は憲法9条で禁止されていない、とする解釈論である。ここから更に「言い替え」がされて、「専守防衛」とか「個別的自衛権」とかが、合憲違憲の指標とされるに至っている。
 しかしながら、自衛権を行使しなければならない事態は、まさに「国際紛争」状態であり、その解決手段として「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」を定めたのが9条にほかならない。すなわち、9条は「絶対的平和主義」を定めた条文である。したがって、立法政策としてならともかく、9条の解釈として「専守防衛」とか「個別的自衛権」とかいうのは、「書かれた法文」とは全く別物と言わざるを得ない。
 仮に「9条」に人格があると想定すると、「9条」は、「専守防衛」「個別的自衛権」なんて、「私のことではありません」と言うに違いない。そして、「絶対的平和主義」を定めたものと理解されないのであれば、「私の居場所はありません。天より遣わされたのですから、天に還ります」と言うのではなかろうか? かように、9条の解釈は、解釈する者の倫理が問われているのである。
 ところで、前記した「いずも」型護衛艦の空母化の話に戻ると、希望の党・松沢成文代表は、「防衛のための空母と言えばいい」と述べている。「空母なんですよ、あれは。『攻撃型空母』ではないというのが政府の説明ですよね。特に離島の方は滑走路がないから、緊急事態が起きた時にきちんと防空態勢を図るというのは、日本のしっかりとした抑止力につながる。日本は領海が広いですからね。(政府は)必要だという認識だと思いますし、私たちはそれに賛同します。(空母という名称を使わない政府は)そんなに逃げることはないですよね。空母は空母だから。あくまでも自国防衛のための空母なんだと言えばいいんだと思いますけれどね。」と述べている(朝日新聞12月14日日刊)。
 このような意見は、憲法9条を無視した自己の政策論にすぎず、国会議員が負っている憲法尊重擁護義務に違反している(99条)。そして、深刻なのは、松沢議員に、その自覚がないことである。また、このような見解が、国会において国民代表として表明されないために、有権者が選挙権の行使を誤ることにつながり、議会制民主主義の健全な運用を妨げていると思われる。

3 「行政国家」現象による権力分立の変容
 安倍首相は、議会で自らを「立法府の長」と1度ならず口にしている。「存在は意識を決定する」との法則に従えば、安倍首相は、権力分立を否定し、自ら「独裁者」であると言い放っているのである。
 しかし、なぜ、そうなるのか?を考えると、たとえば「防衛計画の大綱」や「中期防衛力整備計画」の法形式が、国会の議決を要さない、閣議決定で足りるとされていることに顕れているように、国権の最高機関であり唯一の立法機関と定められている国会が空洞化、形骸化していることに思い至る。「防衛計画の大綱」や「中期防衛力整備計画」が、国会の議決を要さないほど軽い問題とは思えない。「戦力」に関する問題なのだから、憲法9条に直接かかわることを考えると尚更である。また、財政の見地からしても、国会の議決が不要とは思えない。憲法は、「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。」(83条)、「国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。」(85条)と定めている。それにもかかわらず、安倍首相は、日本の安全保障のために必要のない高価な米国製F35Bステルス戦闘機などを勝手に購入している。
 このような現実は、「行政国家」というべき現象であり、それが権力分立制を変容させていることがみてとれる。「行政国家」とは、本来決定された一般的抽象的法規範の執行の部分的担当者にすぎない行政府が、法規範の決定においても中心的かつ決定的な役割を営む国家を意味するといわれる。その特徴として、①法律の発案・審議において行政府が中心になっている、②委任立法(法律事項について立法の権限を行政府に委任して立法を行なわせたり、委任に基づいて行政府が制定した法規範)がエスカレートして立法権の放棄に等しいような立法権の全面的・包括的・白紙委任的な委任、③多数与党であることから、議会は事実上内閣の政治責任を追及できない、④立法府は、事実上、行政府提出の法律案・予算案に機械的な承認を与える「登録院」と化し、行政府が行政権と立法権を併呑し、国政の中枢となる、などがあげられる(杉原泰雄『立憲主義の創造のために/憲法』111頁、岩波書店1991年第3刷)。
 こうしてみると、単に強行採決という運用の問題よりも深刻な事態といえよう。安保法制も多数の法案が一括審議・採決されており、国民にはどんな法律が制定されたのか皆目わからない。入管法改正法案の強行採決も、典型的な白紙委任である。ここまで「行政国家」現象が進行してしまったら、国会を「国権の最高機関であり唯一の立法機関」として再生する改革にも取り組まなければならないのではなかろうか。
                           (2018.12.15) 

2018年12月16日

「民主化」と「護憲」── 韓国にみる「国民主権」

                          (弁護士 後藤富士子)

1 朴正煕大統領の長期独裁体制 ――「維新憲法」
 1969年、朴正煕大統領は、三選改憲で政権を長期化したが、さらに永久政権を企て、72年10月17日、既存のすべての民主主義制度を停止して超法規的非常措置「維新」を宣布した。各大学の構内に戦車が進駐し、維新の宣布と同時に無期限休校命令が出された。そして、同年12月、憲法上の国民の自由と権利を暫定的に停止させることができる大統領の「緊急措置」を定めた維新憲法が公布された。
 文在寅は、大学法学部1年生であった。既存の法典や法学書はゴミ同然になってしまったのだから、「これでも法学が学問だと言えるのか」「そもそも法学に学ぶ価値があったのだろうか」という疑問が法学部生たちを押し潰した。翌年春に授業が再開されたが、憲法の教授は、休校中に新たに維新憲法の本を書いて講義に使った。
 73年後半から、全国で維新反対闘争が起きた。改憲請願100万人署名、緊急措置1号、4号の発令、74年の全国民主青年学生総連盟事件(政府転覆を企てたとしてメンバー等180人がKCIAに逮捕され非常軍法会議にかけられた)、75年の人民革命党再建委員会事件(党を再建し、民青学連の国家転覆活動を指揮したとして23人が国家保安法違反で逮捕され、8人が死刑となった)などが立て続けに起こった。文が大学で維新反対デモの首謀者の1人として逮捕され、大学を除籍されたのも75年4月のことである。
 79年10月26日、朴正煕大統領が暗殺された。全斗煥や盧泰愚などが中心になって軍事クーデターを起こし、崔圭夏大統領を引きずりおろして間接選挙で全斗煥を大統領とする「第五共和国」政権を樹立した。80年になると、大学を拠点にして全国的に反独裁・民主化闘争が澎湃として巻き起こり、復学した文も熱心に活動した。5月17日に除外されていた済州道にまで非常戒厳令が拡大されると、文は、戒厳布告令違反で再び拘束された。留置所で司法試験合格を知らされ、同年8月に大学を卒業し、司法研修院を経て、82年8月、盧武鉉と合同法律事務所を構えた。

2 全斗煥大統領の「護憲措置」
 87年1月、釜山出身のソウル大学生朴鐘哲が取調中の拷問で死亡した事件が発生し、2月7日、全国各地で一斉に国民追悼集会が開催された。釜山の怒りは沸騰し、警察が会場を完全封鎖する中、急遽、別の場所(路上)で追悼集会を行ったが、警察が白骨団(私服警察官で構成された鎮圧部隊のあだ名。一般警官と区別するために白ヘルメットを着用)とともに押し寄せてきた。恐れ動揺する市民や学生を守るために、釜山民主市民協議会の役員らは市民・学生と警察の間に割って入り、道路に腰を落として座り込みを始めた。盧武鉉と文在寅も座り込み、警察の催涙弾を浴びながら、ごぼう抜きにされて鶏舎車(護送車)に放り込まれ、釜山市警の対共分室(スパイ事件の捜査を担当する部署がある別棟)へ連行された。盧武鉉に逮捕状が請求されたが却下されると、検察は何度も非公式に令状請求するなど、韓国の法治主義の現在地を露呈した。
 4月13日、全斗煥大統領は、国民の民主化要求を拒否して一切の改憲論議を停止させる「護憲措置」を発令したが、国民の民主化の熱気に油を注ぐ結果になった。民主化を求める時局宣言(政府が民意に背を向けたり、社会的混乱が起きたときなどに、知識人など社会的影響力のある人々が憂慮を伝えて解決を促すために発表する宣言文)が洪水のように発表された。5月には、全国のすべての民主化運動団体に野党が加わって「民主憲法争取国民運動本部」(略称「国本」)が結成され、盧武鉉弁護士は「釜山国本」の常任執行委員長になった。6月、全国で連日デモが展開され、ついに同月29日、全斗煥政権は、①大統領の直接選挙への改憲、②軍事独裁の平和的政権移譲、③金大中赦免復権と時局事犯の釈放などを骨子とする特別宣言を与党盧泰愚代表に発表させた。
 こうして韓国の市民社会は、「6月抗争」により軍事独裁政権を倒したのである。

3 盧武鉉大統領を弾劾から救った「民意」
 2002年、盧武鉉は大統領選を制し、翌年1月、文在寅は、「権威主義の打破」を掲げる参与政府(盧武鉉政権)の民情首席秘書官就任に応じた。権威主義の体制が打破されて政治的・市民的民主主義が完成するには、大統領が「憲法や法律にない、超越した権力」を放棄することだと意識された。具体的には、政権の目的のために権力機関を利用しないところから始めなければならなかった。この盧武鉉政権が目指したものこそ、権力分立を中核とする立憲主義であろう。
 ちなみに、今年10月から徴用工をめぐる韓国大法院判決が相次いだが、むしろ、朴槿恵前政権の意向をくんで判決を遅らせたとして、職権乱用などの容疑で前大法院判事2名について、逮捕状が請求されたと報じられている。2017年の「就任の辞」で「国を国らしくつくる大統領になる」と約束した文在寅大統領が、盧武鉉政権のやり残した宿題に取り組んだ成果が表れているように思われる。
 ところで、2004年3月、盧大統領の弾劾訴追案が国会で可決された。弾劾は、大統領、国務総理、法官(裁判官)など身分保障を受けている公務員の非行について、国会在職議員の過半数の発議で訴追され、3分の2以上の賛成で可決されると、憲法裁判所で審理され、裁判官9名のうち6名以上の賛成によって弾劾が決定される。
 大統領の委任を受け、文は、代理人団を立ち上げ、本格的な活動が始まった。法律的に緻密な弁論をすれば絶対に勝てると確信した。弾劾は多数党の数による横暴というほかなく、法的根拠がないことは明らかで、民意に逆らった多数党のクーデターとして、民主憲政の危機が認識された。法廷の弁護活動だけでなく、憲法学者をはじめとする法律の専門家に働きかけて弾劾反対意見を表明してもらうことができた。
 弾劾に反対する市民たちのろうそく集会も開かれた。弾劾裁判の政治的性格や憲法裁判所裁判官たちの保守的な傾向を考えると、世論で圧倒する必要があった。文は、インタビューに応えて、「憲法とは何なのか。はるか遠くの高みにあるものではないはずだ。国民がもつ、民主主義に対する最も普遍的で素朴な思い、それを象徴的に表したものが憲法だ。つまり憲法の解釈も、一般国民の民主主義や法に対する意識から出発しなければならない。それが憲法に反映されなければならない。そうであるなら、街頭に出たこの大勢の市民たちによる弾劾反対のろうそく集会が、すでに弾劾裁判の進むべき方向を示しているのではないだろうか」と述べている。
 弾劾裁判の途中の4月15日、第17代総選挙があり、政権与党「開かれたウリ党」が単独過半数(299議席中152議席)を得て第一党となった。これは、弾劾に対する、恐ろしいほどの民意の審判であり、弾劾裁判の判決への決定打と思われた。そして、5月14日、憲法裁判所は、弾劾棄却の判決を言い渡した。

4 与えられた日本国憲法
 戦前の日本において治安維持法が弾圧したものは、「反戦」と「主権在民」である。共産党は「戦争反対」と「主権在民」を主張して、絶対的天皇制権力により殺人的・壊滅的な弾圧をうけた。だが、これらの暴虐の根拠は、日本国憲法で除去された。すなわち、日本国憲法により「国民主権」と「絶対的平和主義」が実現したのである。
 しかし、問題は、韓国に比べればわかるように、国民が民意により勝ち取ったものではないことにある。共産党の野坂参三がGHQを「解放軍」と規定したというのも興味深い。また、9条については、GHQによる「刀狩り」にすぎず、それゆえにアメリカの安保政策に組み込まれて換骨奪胎の体を露呈している。さらに、4月28日は、本土では「主権回復の日」とされる一方、沖縄では「屈辱の日」とされ、日本国憲法は適用されなかったのである。
 ところで、今日「慰安婦」「徴用工」などの歴史問題が噴出している。それは、日本が過去の歴史問題と真摯に向き合ってこなかったことのツケであり、その問題の現れ方も、解決方策についても、韓国と日本の差は大きい。ちなみに、文大統領は「韓日関係には過去の歴史問題がある。いつでも火がつくし、完全に解決したとみることはできない。歴史問題のために、韓日を未来志向的に発展させる様々な協力関係に問題が起きてはいけない」と述べている。この現実政治の落差は、憲法を自ら闘い取った国民と、与えられた憲法に寄りかかって安穏と過ごしてきた国民の差ではないかと思われる。

 ※本文で韓国に関する記述は『運命 文在寅自伝』によっており、誤解があるかもしれません。
 
                      〔2018・12・5〕 

2018年12月6日

「愛国」か、それとも「売国」か? ── 国とは国民だ!

                          (弁護士 後藤富士子)
1 「愛国心」をめぐる奇妙な攻防
 教育現場で起きている「日の丸」「君が代」をめぐる紛争は、日本会議と一体化した政権側が推進している「愛国教育」との軋轢である。ちなみに、自民党の改憲草案3条1項は「国旗は日章旗、国歌は君が代」と定め、第2項で「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」と義務付ける。一方、個人の側とすれば、かつて日本軍国主義の象徴とされた「日の丸」「君が代」を敬う気持ちになれないという理由で、起立や斉唱という「尊重」行為をとれない人もいる。その人たちは、憲法19条の「思想信条の自由」を援用して強制に抵抗する。
 この構図の中で、政権側は、「日の丸」「君が代」を尊重しない個人を「愛国心がない」と指弾し、これに抵抗する側は「愛国心の強制反対」を叫ぶことになる。こうなると、「愛国心」は、あたかも政権側の美徳となり、反対する者は「愛国心なんていらない」と主張しているように見えることになる。すなわち、単に「日の丸」「君が代」を礼賛する歴史修正主義が「愛国」を僭称するのである。ちなみに、「歴史修正主義」は、反対者のことを「自虐史観」と言っている。
 しかし、果たして「愛国心のない人」に国の政治を任せられるだろうか? また、「日の丸」「君が代」を敬う気持ちになれない人が、進んで国政を担おうとするだろうか?
 この点で、「魂の政治家」と国民から敬われた故翁長雄志沖縄県知事の足跡が示唆に富む。2007年9月29日、宜野湾海浜公園で「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開催された。文部科学省の高校歴史教科書検定で沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)の日本軍強制の記述が削除修正されたことに対する抗議集会に、復帰後最大となった11万6千人が結集した。翁長沖縄県市長会長(当時)は、「ウチナーの先祖があれほどつらい目に遭った歴史の事実がなかったことにされるのか」と憤り、集会では「国は県民の平和を希求する思いに対し、正しい過去の歴史認識こそが未来の道しるべになることを知るべきだ。沖縄戦の実相を正しく後世に伝え、子どもたちが平和な国家や社会の形成者として育つためにも、県民一丸となって強力な運動を展開しよう」と訴えている。県議で自民党県連幹事長だった99年当時、辺野古移設に関しては推進派だった翁長氏が自民党と距離を置き始めたきっかけが、この教科書検定問題だったという。
 過去の歴史の事実、それも国家と国民の間で生じた事実を「なかった」ことにする歴史修正主義は、「愛国」でありえないことを、翁長氏の足跡が示している。

2 盧武鉉のテーマ「人が暮らす世の中」(サラム・サヌン・セサン)
 1988年4月の第13代総選挙で初当選した盧武鉉の選挙スローガンは「サラム・サヌン・セサン(人が暮らす世の中)」であり、大統領になってからも退任後も変わらぬ目標であった。2002年、盧武鉉は大統領選を制し、翌年1月、文在寅は、「権威主義の打破」を掲げる参与政府(盧武鉉政権)の民情首席秘書官就任を要請された。それは「君臨しない青瓦台」を作るためであった。文は、悩みに悩んだ末、民情首席秘書官だけで辞めること、政治家になれと言わないことを条件に引き受けた。
 任期初年の2003年、苦渋のイラク派兵を決めた。外交・国防・安保ラインは、韓国軍だけで1区域を担当して独自作戦を遂行できるようにするために「1万人以上(師団級)の戦闘部隊の派遣」を主張した。しかし、大統領の苦悩を熟知していたNSC(憲法に明示された機関で、安保・統一・外交に関する最高議決機構)事務処次長が妙案を出した。米国の派兵要求は受け入れるが、規模は最小限にし、非戦闘部隊3000人とする。つまり、戦闘作戦の遂行ではなく、戦後再建事業の支援とする「平和再建支援部隊」とすることであった。外交部が作成した派兵方針を発表する文案は「イラクの大量破壊兵器によって引き起こされた今般の戦争は正義の戦いであり、我々の派兵は今後の戦後復興事業などで有利な位置を占めることによって経済的にも大きく貢献する」などの内容が含まれていた。大統領は、「私にはこの戦争が正義の戦いであるかどうかわからない」と言って、その表現を使わせないようにした。また、「経済的に役立つかどうかもわからないが、経済的利益のためにわが国の若者たちを死地に追いやることはできない」とも言った。代わりに、国民には「朝鮮半島の平和と韓米同盟という現実的利害ゆえに派兵するのだ」と正直に発表するように指示した。
 任期末の韓米FTA(自由貿易協定)をめぐっては、世論も賛成と反対に二分された。大統領は、「商人の論理」を強調し、交渉チームに「交渉がうまくいっても、うまくいかなくても私の責任だ。本部長は商人の論理に徹して、交渉では韓米の同盟関係や政治的な要素については絶対に考えるな。すべての政治責任は私が取る」と100%国益を基準に考えることを求めた。交渉チームは「今晩、米国側が席を立っても私たちは一向に構わない」という姿勢を堅持し、譲歩カードを使うことなく合意に持ち込んでいる。
 米国との関係の2例を挙げたが、いずれも極めて「愛国」的である。国家経営、政権運営は、担当者個人の主義主張だけで断行できるものではない。しかし、個人の信念によって、現実には少なくない差が出てくるのも明らかなように思われる。ちなみに、米国が不義をなせば、「反米感情を少しもって何が悪い」という盧武鉉の有名な発言も、公正・公平に価値を置くリベラル層に健全と受け止められているという。

3 「キャンドル大統領」の「愛国」
 2012年大統領選で政権に就いた朴槿恵大統領は、国民統合、経済民主化という公約を反故にし、相次ぐ失政により政権の機能不全が露呈すると、外交面での2015年末「慰安婦問題合意」、THAAD(終末高高度防衛)ミサイル導入、開城公団閉鎖など国民の理解を得られない政策を強行しては、「北の脅威」を煽ることで状況を乗り切ろうとした。このような中、朴大統領の「友人」崔順実が国政に不当に介入し、権力を私物化するという「国政壟断」の事実が明るみに出た。国民によって選ばれた大統領が、実は一人では何もできない「操り人形」であることが明らかになったのだ。
 ソウルの光化門広場を始め、人々は各地でキャンドルを手に街へ繰り出し、「これが国か」というメッセージを投げかけた。集会は2016年秋から朴槿恵が弾劾される翌年3月まで続いた。デモに参加した1700万のキャンドル市民は、「国民が主人公となる政府」を求め、民主的参与権の平和的行使と平和的集会の自由という民主主義の根幹を体現したのである。ちなみに、韓国の憲法第1条は「大韓民国は民主共和国である」「主権は国民にあり、すべての権力は、国民から発する」と規定している。
 名門大学に不正入学した崔順実の娘は、「金持ちの親をもつのも実力」とSNSへ投稿し、これに憤慨する少女は、「誰よりも一所懸命働いているお父さん、お母さんが、貧しいという理由で子どもにすまないと思わなくてもいい社会へ」と書いて広場に残した。また、ある参加者は、「人をお金や利益に換算することなく」「激しい競争の中で、他人を踏み台にのし上がっていかないと生きていけない社会ではなく」「人間らしく生きられる世の中」を、と訴えた。これらは、キャンドルをもつ一市民として広場にいた文在寅の「人が先」という哲学そのものだった。
 高校生ら304人もの死者・行方不明者を出したセウオル号事件は、文在寅を再び政治の世界に召喚する契機となった。子どもたちを救えない国家、事故発覚から「7時間」何もしなかった大統領は、文在寅の存在を際立たせた。当時、光化門広場では事件の真相究明を求める集会が続いていた。文在寅は、遺族による長期のハンガーストに参加し、インタビューにこう答えている。「国民は多くの子どもたちがセウオル号とともに沈んでいくのを、なす術もなく見守ることしかできなかった。子どもを亡くし、真相究明のための法を求めて断食する父親が弱っていく姿を、またも傍観することはできない」と。
 2017年、文在寅は、その姿勢ゆえにキャンドル革命で大統領に押し上げられた。「就任の辞」では、「尊敬し、敬愛する国民の皆さん」と繰り返し呼びかけ、「大韓民国の偉大さは、国民の偉大さです」「苦しかった過去の日々において、国民は『これが国か』と問いました。大統領である文在寅は、まさにこの問いから始めます。今日から国を国らしくつくる大統領になります」「特権と反則のない世の中をつくります。常識どおりにする人が、きちんと利益を得られる世の中をつくります」「国民の悲しみの涙を拭う大統領になります」「2017年5月10日の今日、大韓民国が再出発します。国を国らしくつくる一大プロジェクトが始まるのです。この道をともに歩んでください。私の身命を賭して働きます」と締めくくられる。「国」は「国民」と同義であり、熱い「愛国」が語られている。

4 「愛国」の奪還
 盧武鉉や文在寅の「愛国」に接すると、その対極にある「安倍=日本会議政権」にむざむざ「愛国」を僭称させておくことに憤激を覚える。彼らは、まがうことなき「売国」である。私たち護憲派は、「愛国」を奪還しなければならない。

       【参考文献】
        琉球新報社『魂の政治家/沖縄県知事翁長雄志発言録』
        岩波書店『運命 文在寅自伝』

                        〔2018・11・21〕      

2018年11月22日

会員ブログ」への3件のフィードバック

  1. 今日、朝日新聞に砂川裁判の被告の弁護団のコメントが出てます。
    これも掲載したらどうでしょうか。

  2. 非戦を選ぶ演劇人の会が朗読劇を公演。7月15,16日。詳細は後報。
    福田

  3. 本の紹介

    英語教科書は〈戦争〉をどう教えてきたか

    江利川春雄さん
    研究社刊

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