放送法って何だろう

映画『海よりもまだ深く』観てきました。
是枝裕和監督の作品の鑑賞はこれがはじめて。これを機に、今の自分の時間と空間の使い方を考え直してみようと思いました。気づかないうちに昔とは変わってたなーと。樹木希林さんの落ち着いた演技が良かったな。息子役の吉澤太陽くんの演技もとっても自然で良かった。
ところで、この是枝監督がご自身のホームページ上で表現の自由に関して放送法の歴史を紐解いていらっしゃるのがとてもわかりやすい。本来は第三者機関が持っていた放送局への監督権を、国民の目の届かぬところで、ちゃっかりと政府が手にするまでのいきさつもわかる。放送法を理由に国家が放送局を取り締まるのはやっぱりおかしい。
法律って為政者に都合よく読み替えられちゃうことが多いから、ちょっと法解釈ずれたぞ、という時点で随時指摘していかないと、いつの間にか修正のきかないような読み替えが慣習になっちゃったりするので、自由を抑制するような内容を含む法律には気をつけなきゃいけないな、と思いました。
是枝監督のホームページの論考は今回はじめて選挙権を得た人達に向けてのメッセージにもなっているので選挙の参考にもなりそう。

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放送法って何だろう」への2件のフィードバック

  1. 是枝監督が示した放送法の歴史には感銘を受けました。
    施政者による法の歪曲には確かに注意を払う必要に同感します。

  2. 是枝さんの論考によると、放送法が制定された1950年には、放送局を規律する権限は公権力ではなく「電波監理委員会」という非政治的な組織が持っていたのに、1952年にこの組織は廃止され、放送法の内容はそのままで主語だけが郵政省(今の総務省)に書きかえられ、郵政省の下に「電波監理審議会」という新たな組織を作って、放送局を郵政省の監督下に置きましたが、憲法上の表現の自由や放送局の自主自律の趣旨に鑑み、歴代の郵政省の考え方としては、法律上権限はあるが行使はできないとしてきたものを、今やそうした問題も完全に度外視したような形で一大臣が停波の権限について臆面もなく言及するというような事態が起きていることに疑問を示されているわけですね。  国旗国歌など、法律の制定時の質疑、答弁では、義務づけはないとして成立させたものを、今では十分強制している実態があったり、漢字の書き順の文部省指導(「筆順指導の手びき」)も、それ以外の書き順を否定するものではないと言って始まったにもかかわらず、学校のテストや入学試験でも書き順がまことしやかに出題されるような事態となっていて、こうしたとき私などはつい「法律は一人歩きをするものだ」などと、諦めの心境に立ち入ってしまうのですが、学習院大学法科大学院の野坂泰司教授は、法が何を定めているかということは言葉の意味からのみ捉えられるべきではなく制定者の意図を探求することが必要であり、そのことで解釈論上の無用な混乱の回避ができることも少なくない(憲法解釈については、制憲者の意図の探求は、制憲議会に当たる第90帝国議会の審議を中心に行われるべき)(岩波『世界』8月号)と説明されており、是枝監督の論考は、その意味でも重要な視点を提示されていますね。
    国連のデウィッド・ケイ氏は、総務省の高市大臣による放送局への電波停止権限行使発言について、放送法を改正し、政府から独立した規制組織を設立し規制力を持たせることが、この問題を解決するための最も確実な方法だと言っています(同じく『世界』8月号)。そうすると、1950年の放送法制定当時の状態が理想的だったということになりますね。

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