平和な江戸時代がもたらしたもの②

平和な江戸時代には、和算など学問を競い合うこともあったそうで、初級から上級まで、いろんな問題を競い合い、微分、積分までこなしていた。円周率に至っては20数桁まで計算し、当時の世界1位だったそうだ。

伊能忠敬が、50歳を過ぎて本業から隠居し、全国を測量して日本地図を作り上げたことは有名だ。この頃の欧米では大きな測量機器を使って少人数のエキスパートが測量していたが、日本には大きな測量機器はなく、小さい測量機器をたくさんの人数で使って測量していた。少人数なら学者級エキスパートが集まり全行程を測量できるけど、多人数が全行程を歩くことは出来ない。それで行く先々で数十人の人を集めるのだけど、その全員が初めての測量に係わるというのはそれなりの能力・理解力をもった人が必要だが、全国どこへ行っても集めることが出来たそうで、その能力・理解力を持った人がどこにもいたと言うことで、これはやはりすごいことだ。

当時の日本はまた金、銀、銅の世界1の生産国で、それを支えるためには、鉱山学、土木・掘削技術、製錬技術、加工、流通、町づくりに至る総合力が必要な事業でもあり、その面でも世界屈指だったと言える。そして、後の足尾鉱山に見る鉱害も出さない優しい精錬法だった事も特筆される。

学問や研究の出版は多岐のわたり、「農業全書」が出版されたり、「養蚕秘録」に至ってはフランスやイタリアで翻訳され、ヨーロッパの蚕の危機を救ったようだ。

花岡清州の全身麻酔はヨーロッパより50年早かったとか。

鎖国だったとはいえ、長崎を窓口に、ヨーロッパの情報は入ってきており、新しい情報に出会うと翻訳したりしてすぐに広め切磋琢磨して高めあい磨いてきた。これが現代の技術立国日本のDNAになっているのではないか。

大 西

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