「夫婦同姓」から「夫婦別姓」へ ――現行法制度の何が問題なのか?

(弁護士 後藤富士子)

1 「夫婦別姓」は「男女平等」とは別の原理
 中国や韓国は、戦前から「夫婦別姓」である。結婚によって同姓を選択できない。それは、家父長制(父系家族)と儒教思想が合体した産物であった。妻は実父の姓を名乗り、結婚しても、夫の父系家族の中に入れない。「婚姻家族」の一員とされないで、どこまでいっても「父の家系の娘」なのである。
 同じ文化圏にある日本で、なぜ「夫婦同姓」になったのか、不思議である。日本では、江戸時代まで苗字をもつ階級は一部に限られ、農民や商人など大部分の人は主に下の名前だけで通していた。明治になって戸籍制度と連動して苗字の公称が必要となり、「苗字+名前」という新しい呼び方が確立された。そして、夫婦の姓については、武士や公家の特権階級の慣行にならい、「妻は原則として所生の苗字を名乗る」とされ(1876年太政官指令)、夫婦別姓が採用された。しかし、2年後の民法草案で「妻は夫の姓を名乗る」とされ、1898年に明治民法が成立して「夫婦同姓」原則がつくられた。別姓から同姓へ転換した理由として、日本では血統よりも「夫婦一体の生活実態」が強く意識されたためと説明されている。
 ところで、西洋でも家父長制の時代はあったが、儒教ではなくカトリックの影響で、「夫婦同姓」になったのではないかと推測している。カトリックでは「離婚の自由」は認められず、「父の娘」という地位よりも、「夫の妻」という婚姻が優先的価値をもったからではないか。実際、法律上、妻は夫の所有物のように扱われている。そう考えると、明治民法の「夫婦同姓」は、まさに「文明開化」(脱亜入欧)の一端だったのではなかろうか。
 こうしてみると、「夫婦別姓」は「男女平等」と無関係であることが分かる。ちなみに、「夫婦別姓」が「男女平等」原則から作り直されたのは、中国の1950年婚姻法が最初である。

2 「選択的夫婦別姓」という設計
 現行の「夫婦同姓」強制制度について、「婚姻の自由を侵害する」とか、「別姓を選択できないことが問題だ」「別姓も選べる法制度を」という立法政策に基づき、「選択的夫婦別姓」制度が1996年に法制審議会で示されて4半世紀が経過している。それでも未だ法改正に至らないのは、なぜか?
 私は、現行の「夫婦同姓」強制制度の何が問題なのかについて、立案者に見当違いがあるのではないかと思っている。 続きを読む

2022年4月11日 | カテゴリー : ➉ その他 | 投稿者 : 後藤富士子

「和解禁止法」と「法の支配」

弁護士 後藤富士子

1 職場の性暴力「和解」禁止法
 報道(赤旗2月17日)によれば、職場での性暴力やセクハラを労働者が訴えた際に、訴訟ではなく「和解」で解決することを企業に禁止する法案が米上下両院で可決され、バイデン大統領の署名で成立する。同じ内容の法案が17年と19年にも提出されたが、廃案になっていた。
 米国の標準的な雇用契約には、職場で性暴力やセクハラを受けた労働者に対し、雇用者である企業を裁判に訴えることを禁止し、「和解」で解決するとした条項が盛り込まれている。多くの場合、私的な「調停者」が密室で対応し、企業側に有利な「和解」で終わる。同条項は自らの被害について他の労働者と情報共有することも禁止している。これが、被害者を孤立させ、泣き寝入りさせる要因になってきた。
 今回の法律によって、「和解」条項は無効となり、被害者は裁判をたたかい、加害者の罪を明らかにし、責任を取らせることが可能になる。

2 「法の支配」― 理由に基づく統治
 松尾陽・名古屋大学教授の『今問う「法の支配」の理念』(1月13日朝日新聞「憲法季評」)を紹介したい。昨年9月末、刑事弁護人がパソコンを法廷内のコンセントにつないで使っていたところ、裁判長が「国の電気だから使用してはならない」と制止した事件を題材にしながら、民事裁判にも広げ、裁判外紛争処理過程における弁護士の役割の重要性について論じて示唆に富む。
 旧共産圏の権威主義体制と呼ばれる国々で、1990年代以降、経済発展を促進する法システムを欧米などから輸入し、部分的であれ、欧米流の裁判システムへと変容させてきた。しかし、これらの国の法システムの中心には刑法や行政法が位置し、法は為政者が発する命令であり、裁判もその命令を粛々と実現していく場として理解される傾向がある。このような体制においては、為政者の思惑によって法が解釈適用されがちであり、「法による支配」とも評される。これは、欧米流の法システム全体の理念とされる「法の支配」と対置される。 続きを読む

2022年2月21日 | カテゴリー : ➉ その他 | 投稿者 : 後藤富士子

「同性婚」と「選択的夫婦同姓」 ――「法律婚」の多様化を考える

(弁護士 後藤富士子)

1 「同性婚」カップルの姓
 「同性婚」を合法化するということは、法律婚として認めることを意味する。
 しかるに、「同性婚」の場合に「夫婦」とは呼べないし、カップルが同姓になることもない。一般には「別姓」カップルと考えられている。
 しかしながら、同性婚カップルにおいて「同姓」を称したいと望むこともあり得るだろう。その場合に、「同姓」を称することを禁止する理由はないように思われる。異性婚と差別しないで扱うというなら、婚姻によって「同姓」を名乗りたいという気持ちは肯定されるはずである。
 すなわち、同性婚カップルの場合、原則は別姓であり、同姓を選択することも可能という制度設計になる。

2 「選択的夫婦別姓」は少数派になることを選択させるもの
 導入賛成派が多数になったといわれる「選択的夫婦別姓」であるが、自分が別姓を称するかというと、それはまた別問題である。現状は、96%の妻が旧姓を捨てて夫の姓を称する法律婚をしている。それで、「選択的夫婦別姓」制度が導入されたからといって、果たして別姓夫婦が過半数の多数派になるだろうか? すぐには無理でも、長年経てば多数派になるのだろうか?
 「選択的夫婦別姓」という制度は、「夫婦同姓」の原則を前提としている。つまり、夫婦別姓を選択するのは「例外」としての少数派であることを自認している。換言すると、法律婚の少数派になることを選択させるのである。これでは、いつまで経っても別姓夫婦が多数派になる道理はない。
 翻って、結婚前の旧姓を保護しようとする法益が「個人のアイデンティティ」というのであれば、夫婦別姓が原則になるべきであろう。そうすると、夫婦同姓が選択制になる。しかし、その場合に同姓夫婦が多数派になったとしても、別姓夫婦が「少数派を選択させられる」という理不尽とは無縁である。すなわち、「法律婚」に夫婦別姓を取り込むには、「選択的夫婦同姓」にすべきである。

3 「法律婚」の多様化
 現行法の「法律婚」は、がんじがらめの要件にしばられて、硬直した画一性が貫徹される。「夫婦別姓」が法律婚に取り込まれにくいのは、そのためである。
 一方、「選択的夫婦同姓」制度は、「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」という憲法24条の二大原則を充足する法律婚である。しかも、別姓夫婦も同姓夫婦も差別なく共存しているから、法律婚の多様性をもたらす。それは、同性婚を法律婚に取り込む道を準備するのではなかろうか。

(2022年2月3日)

2022年2月3日 | カテゴリー : ➉ その他 | 投稿者 : 後藤富士子

「法律婚」神話と「戸籍」の物神化

(弁護士 後藤富士子)

1 「選択的夫婦別姓」や「同性婚」の主張は、「事実婚」の不利益を甘受したくないとして、あくまで「法律婚」の待遇を求めている。それは、自己のアイデンティティーを国家の保護の下に置こうとする一方、「事実婚」差別を置き去りにする。まるで「名誉白人」になろうとするように。
そこで、「法律婚」と「事実婚」に共通する「婚姻」とは何か?を検討してみよう。
民法第739条1項は「婚姻は、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる。」とし、第2項は「前項の届出は、当事者双方及び成年の証人2人以上が署名した書面で、又はこれらの者から口頭で、しなければならない。」と定め、第740条は「婚姻の届出は、第731条から第737条まで及び前条第2項の規定その他の法令の規定に違反しないことを認めた後でなければ、受理することができない。」としている。これが「法律婚」の成立に必要な要件である。但し、婚姻の「効力」として定められている「夫婦同姓の強制」(第750条)も「婚姻届出の受理」(その他の法令の規定に違反しないこと)というゲートの前に「要件」に転化する。考えてみれば、まことに奇怪な法律である。要件と効果がトートロジーで、まるで「山手線」ではないか。
一方、憲法第24条1項は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と定めている。 続きを読む

「単独親権制」は、なぜ廃止されないのか?

(弁護士 後藤富士子)

1 民法の「親権」についての条文の冒頭に「成年に達しない子は、父母の親権に服する。」と規定されている(第818条1項)。ところが、父母が未婚や離婚で「婚姻中」でない場合には「成年に達しない子は、父又は母の単独親権に服する。」と規定されている(第819条)。
 なぜ、父母が「婚姻中」でないと単独親権になるのか、合理的な理由が思い浮かばない。むしろ、憲法第14条が禁止する、「社会的身分」により「社会的関係」において差別するものではないか。また、憲法第24条2項に定められた、「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した」法律という点でも、明らかに反している。

2 「親権」は、戦前の民法にも規定があった。戦前は家父長的「家」制度であり、「戸主」(「家に在る父」または「家に在る母」)の単独親権であった。
 ところが、「家」制度は日本国憲法第24条に抵触するので、廃止された。「親権」についていえば、婚姻中は「父母の共同親権」となり、未婚や離婚の場合の単独親権についても「父母のどちらか」という点で、性に中立となった。問題は、単独親権者を決める方法である。まず、父母の協議によるが、協議がまとまらなければ、家庭裁判所が決めることになった。 続きを読む

2021年5月13日 | カテゴリー : ➉ その他 | 投稿者 : 後藤富士子

「完全護憲の会」会員求める期待と願い

札幌市 小久保 和孝

 「完全護憲の会」を知ったのは2015年の秋頃であったろうか。「日本国憲法が求める国の形」のパンフレットを手にした時であった。

 読み終わった時、私の中に二つの大きな夢というか希望が沸き起こった。

 その一つはパンフレット55頁の「日本国憲法が求める国の形」作成の過程を見たときである。新しい憲法(昭和憲法)が制定された時、当時の文部省は国民学校(小学校)憲法の時間を持つことを奨励し、「新しい憲法のはなし」を出版した。この準教科書は小学生ばかりか広く国民各層に読まれ、新しい憲法発布時の“憲法の掲げる国の形と理念”に対する熱狂的な共感と支持が更に深まり拡がっていった。

 「平和主義、平和国家」、「主権在民」、「基本的人権」この三つの言葉は日常生活の合言葉にさえなっていった。そして未だ消えない血と餓と焼土の残る中で、国民の中に「文化国家建設」への夢と希望が膨らみ拡がっていった。

 この後、憲法について多くの学術書、一般図書が出版されたが、国民的話題となる憲法関係のみるべき一般人向けの図書はなかった。

 1950年6月、朝鮮戦争が起こった。そして「G・H・Q」のマッカーサーが発した一連の日本政府に対する書簡によって共産党機関紙「赤旗」が発行停止され、報道関係、一般企業さらに官公庁、学校まで共産主義者とその同調者とみられる一万数千人余が「レッド・パージ」として解雇、追放された。憲法の保障した法のもとでの平等・思想・良心の自由は占領法規の武力を背景とする超憲法的力により「新しい憲法」は事実上停止されてしまった。ここから現在に続く「逆コース」の時代が始まる。そればかりか、七万五千人の「警察予備隊」が創設され、再軍備の種が蒔かれた。

 1951年、それ迄国内で「全面講和」か「単独講和」か、で国民を二分した戦後“米よこせ”デモに続く国民的大闘争は、G・H・Qの後押しを得た時の総理大臣吉田茂は、全面講和を支持した南原東京大学総長を「曲学阿世の徒」であるとまで罵倒し、国会の多数派を背景にしてアメリカ中心の「片面講和」に押し切っていく。同年9月サンフランシスコで、ソ連、ポーランド、チェコスロバキアの3か国を除くアメリカ主導の連合国48か国と日本とにより講和条約が調印された。同時に連合国側にさえ全く秘密裏に用意された「日米安全保障条約」が米国代表と別室で日本側は吉田首相ただ一人の調印で締結された。以降、日本には占領期間中の通称「ポツダム勅令」と呼ばれる超憲法法規は講和後表向きには撤廃されたが、その内実は「安保条約」に基づく「日米行政協定」を中心とする条約ならざる国家間約定と各種「特別法」として温存再生され、現在も続いている。そのため、我が国には「憲法体制」と「安保条約体制(行政協定)」との二つの法体系が並列して存在することになった。

 以降、益々日本の現実は、あるべき憲法体制から多数派国会議員を持つ権力政党の手による各種法令により次第に乖離していく。

 「集団的自衛権」の行使は「違憲」とする歴代法制局の見解を引き継いだ長官は更迭され、国会では「特定秘密保護法」に続き「共謀罪」法案が強行採決されてゆく

 「現行憲法」は占領下で占領軍に強制されたものであると主張する「改憲派諸勢力」は、公然と「憲法改正」を叫び、昭和憲法を卑しめ否定している。

 憲法学会では「逆コース」以降の危機的状況に、有志の学者達が憲法についての一般国民向けの各種書籍を出版するようになっていった。その中で憲法の理念と現実との乖離を直視しつつ憲法を解説した長谷川正安著「日本の憲法」は、この種の本としてはかなり多くの人々に読まれ、1953年発刊以降改訂を進めつつ第三版まで刊行が進んだ。この岩波書店新書版は、日本の現実が次第に憲法から離れ、「安保体制」の法体系寄りになりつつあることは解説されていても、「憲法のめざす国の形」を具体的に展望する目的は持っていないかに思える。私はパンフレット「日本国憲法が求める国の形」55頁をみて最初に浮かんだのは、この長谷川正安著「日本の憲法」であった。

 「日本国憲法が求める国の形」(追補・シリーズ1)このパンフレットは発刊後、会員と読者との声を反映しつつ、「憲法の求める国の形」を益々具体的に展望し、会の実践活動方針の役割を担ってゆき、版を重ねる毎にロマン豊かな刊行物になってゆくのだろうと思っていた。例えば16頁から20頁にわたるこのパンフレットの(第9条関係)“違憲自衛隊を合憲の国連軍に”の記述は、憲法前文の立場に立つ極めて壮大な展望に満ちた、国際性豊かな実戦活動方針になっている。

 ただ、このパンフレットは毎年改定されるのか、2~3年おきになるかは会の発展と力量によるのかなーと想像していた。

 これが一つの夢、希望であった。

 「完全護憲の会」設立趣意書の最後は「当面の活動」である。そこには“我々の使命と日本国憲法の理念を広く世間に普及する。憲法に違反する政治の実態を究明し、順次発表する”と締め括られている。

 二つ目の夢・希望はパンフレット76頁「完全護憲の会」設立趣意書の頁を再度読み進めるなかで、次から次へと色々の事が想起され、今後活動が目に浮かんで来た。

 先ず始めの「現状の認識」、「われわれの使命」そして「当面の活動」をみて、この会は新しい憲法(昭和憲法)下の“明確に政治団体”を宣言したものである。しかし「完全護憲の会」は一つの結社である。結社には多様な人々が集まってくるはずである。多様な人々が集まるのは力である。

 例えば本会の性格について、政治団体であるとしても実践活動の主要な姿を思い浮かべるその内容はまた多様である。ある人は「出版機関」と捉えるであろう。一方ある人は「学術団体」「研究会」「勉強会」と考えているかも知れない。また政治団体である以上、主要な活動の性格から「啓蒙団体」と捉える人もいるだろう。また社会の屏息状態からの護憲派の「サロン」でありたいと願う人もあろうかと思う。しかし、「完全護憲の会」設立趣意書は、これらいづれか一方にも陥らない事を“自戒”しているかに思えた。

 さて憲法と国家についてだが、文章になった憲法法典がなくともブリティッシュ・キングダム(大英帝国)の様に「成文憲法典」が存在するかの如く成り立っている国がある。その一方で近代国家で最も早く憲法典を持ち、結果として奴隷解放の南北戦争(シビル・ウォー)を体験し民主政治の原則とも云える「人民の、人民による、人民のための政治」を、とのリンカーンの演説を生み出した国アメリカもある。

 しかし、この国はその地域に三百万乃至六百万人も居住していたとされる先住民族(ネイティブ・アメリカン)を感染症の持ち込みも加わり、二十万余まで剿滅しつつ成立していく「移民国家」であった。そして、その先住民を不毛の「居留地」に押し込め、初期の「条約」を「タテ」に外国人扱いとしている。そればかりか、憲法理念に全く反する「白色人種至上主義者」の南部地域における暴力を許し、内戦の目的となった当のその黒色人種を、国の半分では久しく全く憲法の外にしてしまっていた。

 また、ソビエト社会主義共和国連邦は堂々たる成文憲法典を高々と掲げながら、全く異なった国になってしまった例もある。

 1919年、第一次世界大戦でドイツ連邦共和国が成立した。そしてワイマールで開かれた国民議会で制定した自由主義的民主主義共和国建設を目標とした憲法を制定、そこには「国民主権」普通選挙の承認に加え、「生存権の保障」三権分立基調など二十世紀「民主主義憲法」の典型とされた憲法であったが、そのめざした国とは違った方向に国を進めてしまい、「ホロコースト」まで起こしたナチス政権を作ってしまった。

 第二次世界大戦は、米、英、中、後にソ連も加わった「ポツダム宣言」を我が大日本帝国が受け入れて1945年8月15日に終わった。それは同時に「大日本帝国憲法(明治憲法)」の消滅を意味していた。

 そこで改めて「憲法」とは一体何なのか教科書的、一般的理解を、私自身が確認するためにと、手元の電子辞書を引いてみた。その辞書名は「カシオEX・word」である。

 ブリタニカ国際大百科事典「憲法の項目」を以下少し長くなるが、この小論に敢えて次に引用する。

 「憲法の話には、およそ法ないし掟の意味と国の根本秩序に関する法規範の意味と二義があり、聖徳太子の「十七条憲法」は前者の例であるが、今日は一般には後者の意味で用いられる。後者の意味での憲法はおよそ国家のある所に存在するが(実質憲法)、近代国家の登場とともにかかる法規範を一つの法典(憲法典)として制定することが一般的となり(形式憲法)、しかも、フランス人権宣言16条にうたわれているように、国民の権利を保障し、権力分立制を定める憲法のみを憲法とする観念が生まれた(近代的意味の憲法)。

(1)17世紀以降この近代的憲法原理の確立過程は政治闘争の歴史であった。憲法の制定、変革という重大な憲法現象が政治そのものである。比較的安定した憲法体制にあっても、社会諸勢力の違いや階級の対立は、重大な憲法解釈の対立とともに政治的、イデオロギー的対立を必然的に伴っている。したがって憲法は政治の基本的ルールを定めるものであるとともに、社会諸勢力の経済的、政治的、イデオロギー的闘争によって維持、発展、変革されてゆくという二重の構造を持っている。(2)憲法の改正が、通常の立法手続きでできるか否かにより、軟性憲法と硬性憲法との区別が生まれるが、今日ではほとんどが硬性憲法である。近代的意味での成文硬性憲法は、国の法規範創設の最終的源である(授権規範性)とともに、法規範創設を内容的に枠づける(制限規範性)という特性を持ち、かつ一国の法規範秩序の中で最高の形式的効力を持つ(最高法規制)。日本国憲法98条第1項は憲法の最高法規制を明記する。-中略-なお、下位規範による憲法規範の簒奪を防止し、憲法の最高法規制を確保することを、憲法の保障という。と出ている。

 以上が引用全文である。少し長くなったが、この後に憲法の変動、成文憲法、不文憲法の解説が続く。

 以上の辞書的知識をベースとして現行「日本国憲法」を捉えると、それ自体が社会諸勢力との経済的、政治的、イデオロギー的闘争そのものになる。そこで「完全護憲の会」に集う人々の日本国憲法観を文章で示したのがパンフレット「日本国憲法が求める国の形」「完全護憲の会」設立趣意書の76頁「日本国の憲法の理念」に集約されているとみられる。これは単に日本国憲法の理念を示したのみでなく、「完全護憲の会」の「実践的政治団体」としての「マニフェスト」であり行動指針でもある。私の第二の夢希望は大きく膨らんだ

 ひょっとするとこの会が未だ日本では例を見ない全く“新しい学習する政党”に発展していくのではないか?との夢・希望であった。

 ドイツでは「草の根住民活動」から始まった「環境保護運動」は政党「緑の党」を出現させた。

 第二次世界大戦後、多くの国で国民的争点での闘いは全有権者の1%内外の差が多く、

トランプが選挙人当選者数で勝利となるケースもある。

 1960年5月から6月に最高潮に達した「安保改定反対」の国民的大運動は、憲法の規定により改定条約は「自然成立」となる。しかし日本では今後国民の深層意識にかかわる二極大闘争は当面起こりそうもない、否、支配層がそれを避けている。

 もし起きるとすれば、それは事あるごとに強化、実体化されつつある「天皇制」をめぐるものであろう。あと一つは「米軍基地撤廃闘争」が、沖縄から本土に移り全国運動になる時である。現在は国民の深層意識の中では国家権力保持派は「勝っている」との思い込みから国民的争点にはしようとはしていない。しかし、現行の天皇制が守れそうもないと判断したとき、国民的争点として打って出てくる危険性が常に存在している。しかし我が国の「代議制民主主義」は議員と有権者意識とは益々乖離を深めていきそうである。無党派層の増大がその傾向を物語っている。そこで多分、我が国では国民の意識しない間に“国の形”がいつの間にか変わってしまっている、そんな時代になっているのではないかと推断出来そうである。否、現代は刻々その進行形の時代だと。

そこで「完全護憲の会」設立趣意書「会員資格」を見ると“会員たることを秘することを求め得る”とあるのは「青年法律家協会(青法協)」の轍を踏まないとの深重さの上に、更に会員が国家権力機関である自衛隊員、治安機関の警察、行政機関の職員まで拡大されることを予想しているかである。この項は会の壮大な展望を秘めている。

 次の「完全護憲の会」設立趣意書の「当面の活動」はすばらしい表現であるが、どこかにもう少し具体的指針を示すべきではなかったかと思う。例えば戦争体験の集積と継承(特に学徒出陣者の戦争体験及び空爆戦災被災者記録の発掘と継承)の様に。

 次に完全護憲の会「会則」であるが、(目的)の第3条はあまりにも月並みである。ここに仮称“会員実践当面の活動の指針とかの項”を掲げるのも一つの方法かと思う。(会員)に二種類の区分が存在することが第4条に出ているが、この表現ではイメージが湧かず判りづらい様に思う。“賛助会員”の後に( )して会報等読者などとの文言を追加しては如何かと思った。

 私は会員が学習活動閉じ籠ってしまわないためにも、会則等に掲げるのではなく、次の規範と義務を負うべきだと考える。

(1) 一年に一人は会員を拡大する。
(2) 一年に三人の賛助会員(刊行物・会報等読者)を拡大する。
(3) 常に身の回りに憲法問題を語り合える仲間を持つ努力をする。

 ところで次の「完全護憲の会」設立趣意書「会計」には入会金は一千円とする、としか記されていない。この後に“費用は会員で適宜、分担する”とあるが、内容がつかめない。会と名のつく会にはすべて月又は年会費が規定され、会費納入が会員規範となっている。しかし我が会則には会費規定がない。これは会費納入以上の「内なる規範」を課しているかに思えてならない。

 会の基本的運営資金は「完全護憲の会」設立趣意書「会計」に“会員で適宜分担する”とあるが、その内容は活動の中で得る、つまり会発刊のパンフレット等の普及販売等の活動によって得ることを想定しているからではなかろうか。

 「完全護憲の会は個人加盟」の全く新しい「学習する政治団体」である。その実践活動は結果として政治闘争であり、有権者の獲得競争でもある。

(2021.6.2 記)
(素原稿完成 2021.3.15)
(素原稿末尾改訂 2021.3.16)

2021年5月2日 | カテゴリー : ➉ その他 | 投稿者 : 管理人

「夫婦別姓」と「子の氏」

(弁護士 後藤富士子)

1 離婚後は「選択的父母同姓」
 戸籍法第6条は「戸籍は、市町村の区域内に本籍を定める一の夫婦及びこれと氏を同じくする子ごとに、これを編製する。」と定めている。だから、夫婦と子は同じ「氏=姓」になる。これが「入籍」という現象である。そして、婚姻時に夫の氏を称するために96%の女性が改姓しているという。
 一方、離婚の場合にどうなるか。戸籍の問題では、まず改姓した妻が夫を筆頭者とする戸籍から出ることになり、自分を筆頭者とする単独の戸籍を編製するのが一般的である。氏は旧姓に戻ることもできるが、離婚時の氏を続称することもできる。民法改正前は、必ず復氏しなければならなかったが、離婚に際し子の親権者になるのは母が多く、必然的に子の氏も変更しなければならなくなる。子どもが小学校高学年以上になると、氏の変更は両親の離婚を世間に周知させるようなもので、そのために不登校になった子もいる。そこで、子の福祉に配慮して、「離婚の際に称していた氏を称する」ことができるようになったのである(民法第768条1項、2項)。すなわち、離婚の場合、原則は「父母別姓」であるが、選択的に「父母同姓」が民法で認められている。とはいえ、父の氏と母の氏が同じでも、戸籍の上では、子は「父の氏」から「母の氏」に変更することになり、「氏の変更」の家事審判が必要となる。
 なお、「親権」と「氏」の問題は、戸籍上は別個の問題である。改姓した母を親権者として母が旧姓に戻る場合でも、子を父の戸籍に残しておくことはできる。戸籍の子の欄に「親権者:母」と記載されるが、「氏」を同じくする父の戸籍に残るのである。
 ところで、離婚による絶対的単独親権制は、子を巡って離婚紛争を熾烈で消耗なものにしている。 続きを読む

2021年2月10日 | カテゴリー : ➉ その他 | 投稿者 : 後藤富士子

「統一修習」を「法科大学院」に置き換える ――「司法試験」「判事補」の再定義

(弁護士 後藤富士子)

1 「検察事務官」から「検事正」が誕生
 検察事務官から出発した岡田博之氏(61歳)が、今年9月14日付で盛岡地検検事正に就任した。出身地旭川市の高校を卒業後、旭川地検の検察事務官に採用され、視野を広げようと旭川大学経済学部の夜間部に通った。内部試験により、1993年に副検事、2001年に検事となり、東京地検刑事部副部長や名古屋地検公安部長を経て、昨年11月から神戸地検姫路支部長を務めた(ニュース・弁護士ドットコム9月29日)。
 私は、「検事」になるには、〈司法試験 → 統一修習修了〉のルートしかないと思い込んでいたが、誤りである。検察庁法によれば、検察官の種類は、検事総長、次長検事、検事長、検事、副検事の5種であり(3条)、等級に1級と2級があり、副検事は2級である(15条2項)。そして、3年以上副検事の職にあって政令で定める考試を経た者は2級検事になれるし(18条3項)、2級検事になると、1級検察官(検事総長、次長検事、検事長)の任命資格として「司法修習生の修習を終えた者」とみなされる(19条3項)。すなわち、「統一修習」という障壁は、大昔から決壊していたのである。
 一方、 続きを読む

2020年11月2日 | カテゴリー : ➉ その他 | 投稿者 : 後藤富士子

「法の理想」を指針として――「共同監護」を創造するために

(弁護士  後藤富士子)

1 「単独親権」から「共同親権」への法の進化
民法818条は「父母の共同親権」を定めている。家父長的「家」制度をとっていた戦前の民法が「家に在る父」(一次的)または「家に在る母」(二次的)の単独親権制を定めていたのと比較すると、革命的転換であった。その根拠になったのは、「個人の尊厳と両性の本質的平等」を謳った日本国憲法24条である。「個人の尊厳」という点から親権に服する子は未成年者に限定され、親権は未成熟子の監護教育を目的とする子のための制度であることが明らかにされた。また、「両性の本質的平等」という点で「父母の共同親権」とされている。すなわち、戦後の日本の出発点は、家父長的「家」制度を廃止し、「単独親権」から「父母の共同親権」へ進化したのである。換言すれば、「父母の共同親権」は、まさに「法の理想」であったのだ。 続きを読む

「社会は存在する」とジョンソン英首相

(弁護士 後藤富士子)

 朝日新聞5月9日の「多事奏論」によれば、ジョンソン英首相は、コロナに感染して自己隔離中の3月末、ビデオメッセージで「今回のコロナ危機で、すでに証明されたことがあると思う。社会というものは、本当に存在するのだ」と締めくくった。医療崩壊を避けるために退職した医師や薬剤師らに復職を呼びかけたところ、2万人が応じ、さらに75万人もの市民がボランティアに名乗りを上げてくれたことに感謝して。 続きを読む